ろくろがまわる。音はほとんどしない。回転する台の上に乗った陶土は、舞台に上がった踊り子のように、しなやかに変形を続ける。……あ。大きくなにかが動いたわけじゃない。それなのに、縁がふわりと湾曲した。さっきまで土の塊だったのに、今度は風を受けて揺れる上品な帽子のつばみたいだ。

……わたしたちはいま、陶芸家・吉田直嗣さんのアトリエにいる。まさにいま、目の前で作品が生まれようとしているのだ。とんでもなく貴重な機会に立ち会えているとわかっていながら、黙ってはいられない取材班。こちらの質問に気さくに応えながらも、吉田さんの手は軽やかにすべり、気がつけば陶土は鉢になっていた。

「ここ最近は、植木鉢を50点ほどつくっています。リクエストに応えて作品をつくるのは好きじゃないので、つくるものだけ決めてもらったらあとは好き勝手にやらせてもらっています」

せっかくアトリエにいるのだからと、せっかちなわたしたちはひと仕事終えた吉田さんをつかまえ、そのまま撮影をお願いする。邪魔にならないようにと工房の外へ出るとちょうどいい自然光が入り、外の扉を押さえながらじっとすることに。チチチチチ。チーイ。ホケキョ。ホーホー……。鳥の声が心地いい。風が木々を揺らしている。そして、眼前にそびえる富士山。

「ここからの富士山って、存在感が強すぎるんですよね。だからあえて、富士山側には窓をつくっていないんです。外に出たときに見えるだけで十分なので」

静岡県沼津市出身の吉田さん。子どものころから富士山を見て育ってきたため、あまり意識して見ることがなかったそう。新幹線で移動中に「富士山が見えた!」と喜ぶ友人が不思議だったというくらい、吉田さんにとって富士山や自然は当たり前の存在だ。

お話を聞かせてもらうために、工房からリビングへ。自宅と工房はゆるやかに繋がっている。このアトリエ兼自宅は、妻・薫さんの祖母から譲り受けた別荘を改修して建てられたものだ。ガラス張りで木漏れ日が揺れるリビングからは、明るい森が一望できる。

「ここらは落葉樹なので、季節によって見える景色が違うんですよ。夏は茂って暗くなるし、冬は葉っぱが落ちてあたり一面を見渡せる。いまはちょうど芽吹きの時期ですね」

ときおり動物たちも、家の周りに顔を出すことがあるらしい。

「リス、たぬき、キツネも来ます。キツネって、なんだか独特なんですよねえ。不思議。向こうからは近づいてくるけれど、こっちからは近づけないというか。こちらとは理(ことわり)が違うって感じ。昔の人が『キツネにつままれる』って言ったのがわかります」

軽やかで、スタイリッシュ。そして、風に揺れる木の葉のようにどこまでもしなやかな陶芸家へのインタビューも、キツネにつままれないようにしなければ……と、こっそり居住まいを正す。

きっかけは違和感。「これじゃない」を探し出会った陶芸

吉田さんが陶芸の道へ入ったのは、大学生活がはじまったときの一人暮らしに原点があるという。

「明確にあったんです。『これじゃない』という気持ちが」

料理を載せるうつわに、違和感を感じた。凝った料理をつくったわけではない。シンプルな野菜炒めだったか、メニューはなんだったか忘れてしまったけれど、「違う」ということだけははっきりしていた。それから、吉田青年は自分にしっくりくるうつわを求め何軒かの百貨店の食器売場に足を運び、さらに打ちのめされることになる。

「ここなら見つかるかもと思ったのですが、僕には全部が立派すぎた。もっとシンプルなものが欲しかったんですよね」

実家から持ってきた食器も使おうと思えば使えた。けれど、いつも実家で目にしていたものが自分の整えた生活の中に入ってくることも、ミスマッチを起こしたという。一人暮らしへの、並々ならぬ想いがあったのだろうか?

「そういうわけでもないんですよ。子どものころも、そんなにこだわりに強いタイプではなかったと思います。ただ、ずっと兄と同じ部屋だったので。自分の空間ができたってことはうれしかったのかもしれませんね」

やっと自分だけの城ができた。けれど、この場所に合う、この場所で使いたいと思えるものがない……。そう思っていた時に出合ったのが、大学の陶芸サークルだった。

「『合うものがないなら自分でつくればいいのか』と気づいたんです。でも入ったはいいものの、最初は何もできなかったんです。全然思い通りにならない。2、3か月かかってようやくマシに粘土を捏ねられるようになってきたくらい。でも、その“できなさ”がおもしろくて」

1つ上の先輩たちは、バンバンろくろを回している。なのに、自分がやろうとしてもまったく思ったようなかたちにならない。この差はなんだろう? 手先の器用さには自信があった分、一筋縄ではいかない新しい世界にときめきを感じていたという。

「そりゃあ悔しいですよ。つくりたいものはあるのにできない。そこから、陶芸について調べ始めたんです。骨董という世界があることや、現代にも作家がいてうつわをつくっている人たちがいることがわかった。そこで初めて『陶芸家』という職業があることを知ったんです」

調べたり手を動かしていくうちに、どんどん陶芸にのめりこんでいった吉田さん。いちばんの目的であった「これじゃない」を「これ」にするため、自分のほしいと思ううつわをつくりつづけた。

校舎の土を掘って粘土にしたり、ため池の水から発生させたバクテリアを使って粘土を発酵させたり、タバコの灰を釉薬*にしたみたりと、思いつくことはなんでも試した。

「釉薬にしても、焼いてみないとどんな色になるのかわからない。なんでもやってみましたね。大学の専攻ではなく、あくまでサークル活動として陶芸をやっていたからでしょうね。何やっても誰にも怒られないし、止める人もいなかった」

なんの先入観も持たず陶芸に触れ、吉田さんは陶芸の道を意識するようになる。卒業後は、伊豆の陶芸教室に一度就職し、その後、白磁の巨匠・黒田泰蔵さんに3年間師事。2003年に独立し、陶芸家としての歩みをスタートさせた。

*釉薬……陶磁器の表面を覆うガラス質の膜のこと。焼く前のうつわに粘土や灰などを水と混ぜたものかけ、焼成することで色が出る。

苦しいことをやめると「好き」が見えてくる

陶芸家になってから22年。現在も「これじゃない」という基準を持ちつづけている。自宅で使ううつわは、すべて吉田さんがつくったものだ。

「好きなものって、わりと曖昧でしょう。だから『これじゃない』とか、『これだけはしたくない』っていう“嫌い”から削っていく。そうすることで、“好き”の輪郭が見えたりする」

冒頭に、ろくろを挽きながらしてくれた仕事の話を思い出した。

「苦しくならないようにしたいんですよね。たとえば、同じものを何十個って発注されるのが苦手なんです。ていうか、嫌い。ずっと同じことをしていると、ちがうものをつくりたくなっちゃう。つくり手としては致命的なんですけどね。でも、好きじゃないものをつくり続けても、作品はよくならないのだから仕方がない。そこに気づいてからは、テーマや作品を変えながら隙間がないくらいに新しい個展をやりました」

苦しくないことを選んでいくと、好きなことだけになる。だからそのときにつくりたいものを全力でつくる。あるときは、毎日コーヒーカップをつくっていた。バージョンを少しずつ変えて。

「コーヒー、好きなんですよ。カップをつくったら、まず自分で使ってみる。『もうちょっと小さくしようかな?』って、次は小さいのをつくってみる。小さくすると口縁を開きたくなる。あるいは閉じたくなる。小さくして縁を閉じると『あれ、思ったより入らないな』って。そしてまた使ってみる。『じゃあ次はここを変えて』って……そのうちにきれいだなって思えるかたちができてくる。そうやって、ずっとひとりで遊んでいます」

吉田さんのなかで、「自分が使いたいものがないからつくりたい」と「美しいものをつくりたい」という気持ちは同じであるようだ。

うつわのかたちは内側からつくられる

アトリエの作業机の前には窓がない。作業は深夜にすることが多い、という吉田さん。壁と向かい合い、孤高の時間を過ごしているんじゃないだろうか。
――どんなことを思い、深夜にひとり作業をしているのですか? と訊いてみる。

「自分と向き合っています、なんて言えたらかっこいいんですけどねえ。僕の作業のおともは、もっぱらYouTube。お笑いを見ながら、ろくろを挽くこともあります」

ときには漫才のネタがツボに入り、笑いすぎて作業ができないこともあるという。……意外。こちらの用意していた「陶芸家とはこういうものだ」という固定観念がガラガラと崩れていく。

「自分のことが好きなので、だめなところも含めてかわいいと思えます。人よりも自分のことには詳しいかもしれない」

さらには自身のことを楽天家だと言い切る。話を聞くにつれて、ミニマルでスタイリッシュな作家の輪郭が、どんどんぼやけていく。

そんな話をしながら、吉田さんがわたしたちにカモミールティーを淹れてくれた。もちろん、吉田さんご自身がつくったカップでいただく。

カモミールがふわっと香る。縁が薄いので、口当たりがいい。ふと、こんなことを訊いていた。――うつわの要ってどこなんでしょうか?

「僕に限らず、うつわをつくる人って『内側』に重きをおくことが少なくないです。うつわである以上、中に物が入る。それに、内側からかたちをつくっていくから。壺でもお椀でも、パン!と張ったかたちをつくりたかったら、内から外にぐっと張り出していった力がきれいなうつわですねってことになるんで。それに、僕はうつわの内側って、ある種『聖域』だと思っているんですよね」

うつわを手にとるとき、内側に指を入れて掴む人はいないでしょ? と言われ、納得する。カップも鉢も、中に物があろうがなかろうが、うつわはみな外側を持つ。

スピリチュアルな話としてとらえ過ぎてほしくないんだけど……と前置きしたうえで、つづける。

「うつわに食べ物が置かれるっていうのは、これから命をいただくってことじゃないですか。うつわの中の食べ物っていうのは、命の“最後の舞台”だと思うんです。その神聖な内側に触れることはできない。これは本能的に共通しているんじゃないかなあ」

吉田さんの作品は、黒が印象的である。

「かたちに対する興味があったので。それ以外はないほうがいいと思ったんです。質感を強く出したり、釉薬に特殊な色を使うっていうよりも、単色がいいなって。かたちを見てほしくて、黒にしました」

黒は吉田さんの作品を象徴する色。そのうえで、内側が黒く、外側が白いうつわをつくった。

「白って神聖なイメージがあるかもしれないんですけど、僕は黒の方により神聖さを感じるというか。森羅万象が混沌としていて、全部混じったような。ブラックホールかな。このほうが、僕らはより触れられないというイメージなんです」

外が白く、内が黒いうつわは、吉田さんのたいせつなモチーフとなっている。

再び、アトリエでの作陶風景がよみがえる。アトリエで考えごとをしながら土に触ることはないと言っていた。それまでに、たくさんの思考を重ねているから、アトリエでは自然と手が動く。

「考えなくても出せるところまで、身体に沁み込ませてます」

いいものも悪いものも、目に入るものが基準になる

自然の中に積極的に入っていくこともしないし、富士山を眺めながら暮らしてもいない。吉田さんは目の前のことや起こることを特別視せず、「日常」をたいせつにして生きているんじゃないかと、こんな質問をしてみた。
――ハレとケ(非日常と日常)でいったら、ケをたいせつにしているんですか?

「ハレとケをわけて考えていないですね。ハレはハレでお祝いごともありますけど。ただ、ハレの日だからといって急にハイになったり、今日はケだなってロウになったりすることはないんですよね」

内と外、都市と自然、ハレとケ……吉田さんは、ここまでずっと二項対立になりがちな質問をゆらりとかわしてきた。

「目に映っているものは全部、自分自身に何かしらの影響を与えてくれるんだと思うんです。いいものも悪いものも。好きも嫌いも。全部ひっくるめて自分の基準になっている。そのなかで、何かのきっかけでその影響が作品に出てくる。かたちがこうなったけど、この大本はなんだっけ?ってなっても、自分ではわからないかもしれない。ただ表現としていい影響が出てきたらラッキーだし、影響を受けるものがなくなってしまったら、新しいものは生まれない」

対立して語られる事柄を、分けない。目に見えるものすべて、全部……。昔の話なんだけどね、とかつて見たという展示の話をしてくれた。

「顔の展示があったんですね。そこに展示されていた作品ひとつに、日本人の何千人かの顔をモーフィングして(合成して中間画像をつくること)、ひとりの人の顔をつくっている作品があったんです。ありとあらゆる顔が集まっていましたよ。それを全部集めて合わせると、めっちゃ美男子、美女ができるんですよ。けっこう衝撃でしたね。

美醜の基準って、全部集めたもののなかにあるんだと気づきました。そして、平均値であると。少なくとも顔に関しては。

ということは、自分にとっての良いものばかりを見ようとすると、平均値からはずれてくる。美しさの基準って本当はないんです。人によって違いすぎるから。そう思うと、見たもの全部基準になるし、 意図的に見たって影響は微々たるものなんだよなって」

”選ばない”ことで浮かび上がる「好き」の輪郭

気がつくと、リビングの机に当たる日がすっかり傾いている。だいぶ長いことこうして話を聞いていたようだ。そろそろおいとましなきゃと思いながらも、食器棚の下にあった点棒が気になった。またちょっと意外。――麻雀、お好きなんですか?

「ルールも曖昧なんですけどね。麻雀牌のかたちや色が、好きなんです」

竹と鹿の角でできている麻雀牌を見せてもらう。古いものを探して手に入れたというだけあって、牌の表面は削れている。

「本のページをめくるみたいに、こうしてひとつずつ眺めるんです」

目にするものすべてを受け入れたうえで、“嫌い”を削ぎ落とす。そうすることで、だんだんと“好き”の輪郭が立ち上がってくる。そうやって手にした好きなもののことは、いくらだって話せる。聞いているほうも、居心地がいい。

たぶん、吉田さんと話しているときに感じる心地よさと、吉田さんの作品に感じる心地よさは、元をたどれば同じものなのかもしれない。あらかじめ決めることはせず、いちどつくってみてから、触れてみてから好きなものだけを残していく。吉田さんのうつわから古い麻雀牌と同じ温かみを感じるのも、作品のかたちが窓の景色に柔らかく溶け込むように見えるのも、そこにきっと彼がこれまで見てきたものの面影すべてが浮かび上がっているからなのだろう。

苦しいものからは逃げてもいい。明確に感じる嫌なことや違和感を“選ばない”ことで、自分だけの「好き」の輪郭がはっきりする。それはうつわのかたちにも、わたしたちの生き方にも当てはまる。

帰り際の工房、西陽に照らされる花器のかたちはよく見ると、窓の外の木々のように一つひとつ違っていて、それぞれが美しく佇んでいた。

【プロフィール】
吉田 直嗣(よしだ なおつぐ)
陶芸家。1976年、沼津生まれ。 東京造形大学造形学部デザイン学科デザインII類室内建築専攻卒業後、黒田泰蔵氏に師事。 2003年に独立したのち、富士山麓に築窯した。白と黒を中心にしたうつわが高い人気を誇る。