取材のために訪れたのは、亀戸にある特殊造形会社「Amazing Studio 自由廊」。
「あのバラエティ番組のマスクもJIROさんがつくっていたんだ!」「あ、やたらリアルな国民的アニメのキャラクターも……!」
案内されたギャラリーに所狭しと並べられた作品一つひとつに、思わず感嘆の声をあげてしまう。しかもそれらの作品からは、「リアル」という言葉だけでは言い表せない「本物以上」を目指すようなすごみをひしひしと感じるのだ。夢中で作品を眺めていると奥の作業場からJIROさん本人が現れた。

自由になんでもつくれる人になりたかった
リアルすぎるキャラクターたちに囲まれ、焦点の定まらない私たちをよそに、JIROさんは拍子抜けするくらい気さくに語り始める。
「ここは僕がスタジオを立ち上げてから3つ目のアトリエになります。アトリエの拡張と自由廊が運営する特殊メイクのスクール『Amazing School JUR』を統合するために、3年前にここへ移転したんです」

「最初は、学生時代に知り合った美容院『UR』の代表・川島悦実と、共同出資というかたちで事業をスタートさせました。当時、特殊メイクは基本的に映画の世界が中心でしたが、僕の場合はスタートがヘアショーというリアルな現場で。
川島さんは、ハローキティの専属美容師として限定グッズのヘアスタイルをプロデュースするようなすごい人で、つくるものも独創的かつ革新的。いっしょに作品をつくってきて、僕もたくさんの刺激を受けました。つくったものをリアルの場で見てもらう喜びを知ったのもその時期でした。
でも、専門を卒業してすぐ仕事もほとんどない状況からはじめた事業だったので、あのころはトタンでできたボロボロの建物に寝泊りしながら働いていましたよ(笑)」
JIROさんが「自由廊」を立ち上げたのは、今からちょうど20年前。苦しい下積み時代を乗り越え、何人ものトップアーティストを輩出しながら、現在も事業を拡大しつづけている。
それにしても、専門学校を卒業して即独立というのもすごいが、そこまでの変遷もJIROさんはユニークだ。一浪して入った多摩美術大学を中退して、東京藝術大学に入学。卒業後は代々木アニメーション学院へ進学し、特殊メイクを学んだ。昔から美術が好きだったのだろうか。
「美術の道に行こうと決意したのは、高校2年生のころ。進路を決める時期だったこともあり、学校で職業の適性検査を受けたんですよ。すると本当は自分に合う職業が書かれて返ってくるはずが、なぜか僕だけ『美術、体育、音楽』って教科が書いてあったんです。そもそも職業じゃないじゃんって(笑)。
でもその結果を見て、既存の職業を目指すよりも自分の特技を生かしていくほうが向いているんだな、って妙にしっくりきました。それですぐに美術予備校に通いはじめたんです」

その行動力も才能と言えそうだが、実は自分の表現を特殊メイクや造形に絞り込む前は、悩みも多かったそうだ。
「どんな素材を扱うか、ずっと迷っていましたね。でもアナログの表現を追求したいということだけは、早くに決まっていたんです。きっかけは、ある日テレビで見た歌手の杏里さんのCM。というのも、そのCMに映り込む海や植物、光も含めて背景がすべてフルCGだったんですよ。それを見て『これからはデジタルの時代だな』と思ったのと同時に、だからこそ『これから衰退するであろうアナログを極めたい』と考えたんです。
それで、多摩美ではガラス工芸を専攻したのですが、はじめてすぐ4年間ずっとガラス素材だけを触るのが嫌になって(笑)。結局1年足らずで中退して藝大に入りなおすことにしたんです。
ここでは自由に専攻を選べたから、さまざまな素材に触れながら、最終的に彫金を選びました。それで4年になって、藝大の場合そのまま院に進学して専門を極めていく人が多いけれど、そこでも僕は金属という材料に縛られることに、やっぱり強い違和感を感じたんですよね。そのときようやく『自分はとにかくいろんな素材を扱って、なんでもつくれる人になりたいんだ』って気づいたんです」
多くの学生が一度決めた道を外れることを恐れ、ひとつの素材を極めようとするなかで、「なんでもつくれるようになる」という目標を持ちはじめたJIROさん。異端ともいえる学生が特殊メイクの道に足を踏み入れていったのは、必然だったのかもしれない。

特殊メイクに出会ったわけ
2つの美術大学を経て、ようやく自分が本当にしたいことを見つけることができた、というJIROさん。そこから特殊メイクアーティストを志すようになったきっかけはどこにあったのだろうか。
「卒業後の進路に悩んでいたある日、テレビを見ていたら特殊メイクの特集が放映されていて。そこでプロのアーティストがスポンジやシリコンといった、大学ではほぼ扱わないような幅広い素材を自由に使って、ものすごくリアルな作品をつくっていたんです。
そのときに『この技術を習得したら、自分の夢が叶うかも』と思って、当時日本で唯一特殊メイクを学べた代アニ(代々木アニメーション学院)に行くことを決めました。そこでようやく、自分が求めていた自由さを得られたのかもしれません。
実際にいろいろな素材の扱い方を覚えるのが楽しかったし、生身で手触りのある創作物に驚きを込める特殊メイクの魅力がとても眩しかった。リアルな表現をとことん自由に追求できる環境に『これだ』という手応えがありましたね」

自分が本当に好きで、得意で、長く向き合えること。多くの人はそれを見つけるまでに、何度も失敗や寄り道を重ねていく。
もちろんJIROさんも、特殊メイクにたどり着くまでに何度も回り道をしてきた。しかし、そのすべてに本腰で取り組んできたからこそ、自分が本当に表現したかったものに出会えたとき、確信を持ってその世界に飛び込めたのだろう。そして、自分が歩むべき道を見出せたとき、人生のいたるところにその予兆があったことにも気づいたという。
「子どものころから実写版の超人ハルクとか、クリーチャーらしさと人間の質感が共存したキャラクターが大好きだったんですよ。ハロウィンのときも、周りの子はスパイダーマンとかヒーローに仮装するんだけど、僕だけリアルなゴリラのマスクでうれしそうにしていて(笑)。
思い返せば、変わった風貌のキャラクターやリアルな表現への興味は、物心ついたころからあったんですよね。幼稚園のころから動物の図鑑をひたすら模写していたし、小学校のときの絵を見ても、波の泡立ちや海の色をやたらリアルに再現しようとしているんです」

船に打ちつける波の質感を見ていると「リアルさ」の追求が、幼少期から培われてきたものということがよくわかる。しかし近年のJIROさんが手がける作品を見ていると、その技術は「リアルに見える」をゆうに超えて「リアルに魅せる」という、本物以上の領域まで達しているようにも感じる。アーティストとしての飛躍のきっかけはなんだったのか。
「Amazing JIRO」を生んだ100の作品
たくさんの回り道はあったものの、一度決めてからは持ち前の行動力と粘り強さでゼロからスタジオを立ち上げ、特殊メイクアップアーティストとして成功を収めているJIROさん。しかし、自由廊が軌道に乗ってきてから新たに生まれた悩みもあったのだという。
「ちょうど10年前に、自主制作をアップするInstagramを始めたんです。というのも会社が軌道に乗って社長業や講師業がメインになってくると、アーティストとして自分で何かを生み出す時間が少なくなってしまって。とくに力を入れたのが、ボティペイントによるトリックアート作品。3年で100作品はつくりましたね」

JIROさんのInstagramでは、これまでに制作した100以上のボディーペイント作品を見ることができる
「Amazing JIRO」という名は、実はもともとInstagramのアカウントにつけた名前だった。そこで作品の発表を続けるうちにあまりのクオリティに世界中から「Amazing!」という声が上がり、やがて名実ともに「Amazing JIRO」として認知されるようになったのだ。
「たとえば、このゾンビの作品はフェイスペイントとボディペイントを掛け合わせた作品です。実はゾンビの口と噛まれている腕はモデル自身の腕に直接描いてるんですよ」
一見するとCG作品のように見えるが、目を凝らすと口元もすべてペイントだということがわかる。その技術の高さと驚異的な「リアルさ」へのこだわりは、画面を通しても一目瞭然だ。

「実は身体の一部をペイントで食べ物にしたり、動物にしたりする作品とかバズる人たちって、トリックアートだとわかるようにちょっと下手に描いているんですよ。でも僕はそこだけは譲れなくて、CGだと思われてしまうほどリアルにつくろうとしちゃうんです。そのせいで逆に反響が少ないんですけどね(笑)」
リアルすぎてメイクだと思ってもらえない……。誰よりもリアルにこだわるJIROさんならではの悩みだろう。一方、カメラを通して人の目に届くことの多い特殊メイクでは、メイクをしている「自分の眼」だけでは、圧倒的なクオリティには辿り着けないのだという。
「作品撮りをする上では、『カメラを通して魅力的に映るか』ということも必ず意識する必要があります。最初のころはそれに気づかず、何度か失敗しました。」

「この顔のパーツが残像のようにブレている作品なんかも、人間の眼で見るとちょっと顔の角度を変えるだけで、描いた目が本物の目よりも小さく見えるんです。カメラには人間と違って1つしかレンズがないので、撮影するときはもちろん、ペイントするときも『自分の眼』からカメラの視点に切り替えて描いていますね」
こうした視点の切り替えに気づけたのも、特殊メイクや造形、衣装、ビューティーメイクといった幅広い創作活動をやっていたからこそ。複合的なアートワークをしてきたことで、それぞれの気づきが相互に影響しあって、新しいアイデアや精度の向上につながっている、とJIROさんは語る。

圧倒的な観察眼が作品に命を吹き込む
JIROさんの作品は、ペイントであれば「これ、絵なの!?」、衣装であれば「世界観にぴったり」、そして特殊メイクなら「こんな生き物、本当にいそう!」などと、視覚を通してさまざまな驚きと感動を与えてくれる。リアルかつ創造性の高い作品をつくるために、欠かせない視点とはどんなことなのだろう。
「創作だからといって『誰も見たことがないから、何をやってもいい』という訳ではないんですよ。たとえば映画でクリーチャーをつくるとなったときも、そのキャラクターがどういう生き物で、どこに住んでいて、なにを食べているか……というリアリティをちゃんと残していかないと、映画の世界の中で生きていけないんです」
では具体的に、架空のキャラクターにリアリティをもたせるにはどうすればいいのか。そのヒントを得るため、スタジオに併設されたJIROさんが主宰するスクールを見せてもらうことにした。

アトリエには何人もの生徒がいて、たくさんの頭像が並ぶ。その後ろにはさまざまな角度から撮影された老人の写真が貼られていた。
「彼らがいま取り組んでいるのは『老人彫刻』という課題です。モチーフの老人のシワ一つひとつを紐解くことで、観察眼を磨くんです。立体に起こすことで、実際にその老人がどんなふうに喋って、笑ったときにそのシワがどのように深くなるのか、どうしてそのシワが刻まれたのか、ということまで推測していきます。
最終的には、人の顔を見るだけで、その人がよく笑う人生を歩んできたのか、顔をしかめることが多かったのかまで、見えるようになりますよ」
リアリティを追求するには、そのように解像度を徹底的に上げていく訓練が重要なのだという。
「学生のころは、電車の中で目についた人をモデルに、昆虫とか爬虫類とかの要素を組み合わせてクリーチャーを考える練習をしていました。これをやるときもやはり前提として、昆虫や爬虫類の徹底した観察が必要なんですね」
頭の中だけでクリーチャーを生み出す技術に驚愕しながらも、電車の中で向かいに座る人を見つめながらこれを描いていたJIROさんを想像すると、ちょっとこみ上げるものがある。

「ある程度のところまでいくと、ルールが見えてくるんですよ。すると参考画像を見なくても虫をリアルに描くことができるし、人間と虫のミックスの割合を変えることもできます。そうやって解像度高く物事を見続けることで、オリジナルなものを生み出すことができるようになるんですよね」
こともなげに言い放ったセリフだったが、JIROさんが手掛ける造形はもちろん虫や人間に限らない。哺乳類に水生動物、あるいは機械や植物——あらゆるものを徹底的に観察してきたからこそ、この境地に立っているのだ。JIROさんが見ている世界の解像度は、私たちには想像すらできない。
“アナログ”の意思を次の世代に受け継ぐ
最後に、アナログの表現で研鑽を重ねて業界を登りつめてきたJIROさんに、この仕事をはじめてから今も変わらずたいせつにしている想いを聞いた。
「70年代に生まれた僕らって、アナログからデジタルへ移行するど真ん中にいた世代なんですよ。そしてアナログしかなかった時代を知っている最終世代でもある。それを活かしていくことは僕らの宿命だと思っています。
『猿の惑星』ですらフルCGで表現されるようになって、『特殊メイクや造形の時代は衰退する』と悲観的に捉えている同業者も多いですが、逆にそこをメリットとして捉えて、“アナログ最終世代”としてそれを極める自負を持って、新しい表現を開拓していく。そういう姿勢さえあれば、デジタルにはない生身の魅力を持つ特殊メイクだけが魅せられる本物以上の『リアル』は今後も絶対おもしろくなっていくはずです」

実際に、手触り感のある「リアルさ」を目の前にすると、写真や映像で感じていた以上に驚くことがある。ギャラリーに置いてあった自由廊で手がけているマスクも、触ってみると柔らかそうに見える皮膚が実は硬いことに気付く。被って鏡を見ると知らないおじさんが本当にそこに現れたようでギョッとする。これは間違いなく、生身の私たちの手が届く場所にあるからこそ感じられる驚きであり、アナログが魅せる実感を伴う「リアルさ」の力なのだ。

と、リアルの魅力について思い耽っていたら、いつのまにかJIROさんの姿が見えなくなってしまった。教室を見渡すと遠くに、たくさんの生徒に囲まれながら作品にアドバイスをするJIROさんがいた。その真摯なまなざしを見れば、JIROさんがこれまで突き詰め、次の世代にバトンを渡そうとするアナログ表現がどんな進化を遂げていくのか、期待せずにはいられない。
これから羽ばたくスクールの卒業生たちは、「アナログを極める」というJIROさん誇りを受け継ぎ、このデジタル時代で新たな表現を模索しつづける。Amazing JIROが魅せる「生身の存在に近い、手触り感のある創造物」やその意志は、20年後、あるいは30年後の未来でも、世界中の人々から「Amazing!」の喝采を浴び続けていくことだろう。

【プロフィール】
Amazing JIRO(アメイジング ジロー)
多摩美術大学、東京藝術大学、代々木アニメーション学院と3つの美術専門学校を経て、2002年に有限会社自由廊を設立。現在では特殊メイク・造形製作にとどまらず、映画、ドラマ、CMなど映像業界をはじめ、広告、イベント、ファッションなど、ジャンルを超えて多方面で活躍中。Instagramではフェイス&ボディペイントを中心に自主制作を投稿している。TV championでは特殊メイク王選手権5・6連続優勝、2連覇を達成。TV champion 2では認定チャンピオンとして出場。)
Instagram:@amazing_jiro