
変化しつづけているから、変わらずにいられる
佐久間 こちらのお店には、結婚前に妻と伺ったこともあるんです。ほんとうにすばらしい時間でした。
斉須 来てくださったんですか! それは……(深々と頭を下げ)ありがとうございます。
佐久間 そんなそんな! こちらこそです。「コート・ドール」を知ったきっかけでもある斉須さんの著書『調理場という戦場』は、2002年の夏、発売直後に読みました。テレビ局に入社して3年目の25歳、まだディレクターになる前です。
それから20年間、ずっと本棚のいちばん目立つところに置いていて、折に触れて読み返しています。あまり本に線を引くタイプではないんですけど、こんなふうに……。


斉須 ああ、ほんとうだ。うれしいです。
佐久間 この本には、「働くこと」について影響を受けた言葉がたくさん詰まっています。たとえば、「毎日やっている習慣を、他人はその人の人格として認めてくれる」。
斉須 ええ、ええ。
佐久間 ADのころ、僕、心の中で文句ばっかり言ってたんです。「つまんねえな」とか「どうしておれがこんなことを」とか。でもそれじゃあ周りは認めてくれない。行動して、それを継続して、「働きもの」とか「おもしろいやつ」と思われないといけないんだなと気づかされました。そこから仕事に向かう姿勢が変わったんです。

佐久間 『調理場という戦場』は、あらゆる場面で僕を導いてくれました。これほどまでにパワフルな言葉を自分のものにされたフランスでの12年間は、きっとものすごい密度だったんでしょうね。
斉須 そうですね。そもそもフランスに行ったのは、怒りもあったんですよ。日本のレストランにはびこっていた「上の人は下の人を締め上げていい」みたいな古い慣習とか、膠着した社会が嫌で嫌で……。あとは単純に、作っている料理がすべて「又聞き」でしたから。
佐久間 フランスではこう「らしい」、と?
斉須 ええ。フランス料理を真っ正面から学ぶには「かの地」に行かなきゃダメだなあと思ったんです。だから行った。それは正解でしたね。
佐久間 いやあ、50年前にそう思えたのがすごい! 「料理人とは、日本で働くとは、そういうものだ」と飲み込まなかったんですね。そして帰国後「コート・ドール」を開いて、それから36年間、毎日のように調理場に立ってこられた。
斉須 はい。
佐久間 その「毎日」って、一見すると同じことの繰り返しだと思うんです。でも、じつは常に変化していたからこそ何十年も変わらずにいられたんじゃないかなと、今日この場に来てあらためて感じました。
斉須 そうですね、日々変わってますよ。オープン当時からずっとメニューにある料理も、素材の味わいや産地を見て、作り方は変えつづけているんです。表面上はわからないくらいに、少しずつ。
ただまったく新しい料理に関しては、作ろうと思ってできるわけではなくて。発注を間違えちゃったり、うまくできなかったり、素材が映えなかったり……不慮の事態、そういうときに浮かぶことが多いですね。

佐久間 へーっ、おもしろい! この限られた条件で何とかしなきゃってときに。
斉須 「さあ、試作するぞ」って腕まくりしているときは案外出てこないです。どうにもなんないな、どうしようって頭をひねっていると、ぽっと出てくる。
佐久間 なるほどなあ。きっと「手を抜かずにやって来た自分」が思いつくんでしょうね。
斉須 はい。でもそれは、佐久間さんも同じなんじゃないですか。
佐久間 ああ、たしかに……。そうあるためには、現場に立ちつづけることが大切ですよね。
斉須 現場をリアルタイムに生きていないと失ってしまうもの、たくさんありますからね。それは、知識では対応しきれません。
佐久間 わかります。僕はバラエティ番組を作っているんですが、現場でタレントと一緒に「どうすればうまくいくだろう」って頭をひねる時間がなくなったら……なんだろう、虚業になっていくような気がしますね。現場に立つディレクターのままでいたくって、テレビ局を退社したところもありますから。

一流の人間は、「普通の人」
斉須 現場は、思い通りにならないのがいいですね。周りとのいざこざがパワーの源なんですよ。同じような意識の人たちが集ったときは、危ない。チームは、なるべく凹凸のある人たちで組むようにしています。
佐久間 いまも調理場の中はそうですか?
斉須 もちろんです。中は若い人ばかりですが、朝、僕が「こんなふうにしようと思っている」と言うと、「それはやりたくない」とか「この材料を先に使わなきゃダメです」とか言われますよ。

佐久間 ええーっ! 本当ですか!?(笑)
斉須 はい。そうなったら自分のアイデアはいったん畳んで、そっちに頭をシフトして、新しいやり方を探します。もう、1日中「どうしよう」ってぐるぐる考える。それが楽しいっていうか……。いや、思い通りにならないのは嫌なんですよ? でも、それもリーダーの仕事なんだなって思いながらやってますね。
佐久間 それは……おそらく、一般的なレストランとは違いますよね?
斉須 と、思いますね。僕は、あるべき姿の料理長ではないんですよ。料理はヘタだし、田舎丸出しだし、知らないことは知らないって言うし。(調理場を指さして)向こうの人のほうが、スマホを持ってるから正解が見えてるんです。だから「シェフ、あんまりものを知らねえな」みたいに言われることもある(笑)。
佐久間 はーーー。
斉須 でも、それを寛容に受け止めていかないと、やっていけないんじゃないかなと思いますね。
佐久間 いやあ……すごすぎる。

佐久間 上に立つ人の姿でいうと、本には「(最高の料理人は)ふだんから普通のように振る舞っているから、見つめる人にしか本当のすごさはわからない」と書かれていましたね。
斉須 そう、普通の人。「すごさ」を誇示したりしない、普通に生きている人なんです。ちょっと地味に見えるくらいなんだけど、忍耐力があって、決断力もあって……「すごい」ってこういうことなんだと、フランスで学びました。
とくに3店舗目でお世話になったレストランのオーナーは、ほんとうに優れた人でしたね。素材の買い出しに自ら行く。それを僕らに見せながら「これでよかったかい?」と聞く。それでお礼を言うとね、「ありがとうは私のほうだよ」って返してくれるんです。「私のために働いてくれているんだから」って。
佐久間 うーん、かっこいい! 威圧的になってもおかしくない立場で。
斉須 しかも東洋から来た、どこの馬の骨かもわからない若造にです。ほんとうは資産家なのに一切むだ遣いもしないし、慎ましやか。こういう人がいるんだって、12年間でいちばんの驚きだったかもしれません。
佐久間 その人との出会いが……。
斉須 大きかったですね。「こういう人になりたい」と思いました。自分はこういう人になりたいんだと気づいた、と言えるかもしれない。ずっと、いまも、彼を目指してやっているだけです。

才能のサポーター、それは「正しく生きること」
佐久間 僕、「才能」についても、斉須さんの言葉に影響を強く受けています。「才能というものの一番のサポーターは、時間と生き方だと思う」と「正しい時間の使い方や生き方なくては、やりたいことの最後まで辿り着くことはできない」。これらを、自分を律する指針にしてきました。
ひとつ番組が成功しても、この仕事が得意だと思っても、正しく生きる。自分の中で正しいと思うことをやっていく。そうしないと、おれなんかの才能はすぐなくなるぞって言い聞かせてきたんです。
斉須 大切なことですよね。この世界って、ただ技術的に卓越した人が生き残ってるわけじゃないんです。お金に汚い、欲深い、女癖が悪い……脱落していく要素はたくさんあります。そこに溺れて消えていく人も見てきました。才能だけでは、押し切れない。

佐久間 キャリアを重ねてきたいま、その言葉の重みがよくわかります。僕は「コート・ドール」が日本におけるフランス料理のスタンダードを作りあげたと思っているんですが、それは斉須さんの「生き方」によるものなんでしょうね。
斉須 なんというのかな。僕は日本に帰ってきてからずっと、フランスで一緒に働いた方やお世話になった方の姿……郷愁がね、絶えず頭の中にあって。仕事をするたび、彼らに触れられるんです。
佐久間 ああ。12年間で出会った人たちに。
斉須 はい。それに、当時の風景にすっと入り込める。さっき「オープン当時から作っている料理もある」と言ったけれど、僕にとってはいつも、毎日が新鮮なんですよ。
佐久間 なるほど! 調理場に立つと、いつでも原点に帰れる。「やってやるぞ」と燃えていたころの気持ちを思い出せる。だからきっと、奇をてらうような仕事をする必要がなかったんですね。それが「スタンダード」につながっていった。
でも、こうして一流の店を構えていると、甘い話……つまり経営拡大や多店舗展開のお話もたくさん来たんじゃないですか?

斉須 はい。でも、それにはお金を借りて、返済しなきゃならないでしょう? そうすると、自分じゃなくなっちゃうから。僕は「自分でいたい」と思ったんです。だから、ここだけでやってきました。
僕はね、(腕組みして)こういう人にはなれない。いつも見習いのころの自分がいるんです。18歳で上野駅に出てきたときの自分、フランスで右往左往している自分が。だからずーっと怖いです。若い人に対しても、「置いてかれてたまるか」みたいな気持ちですよ。
佐久間 ええっ! あらゆる分野のトップの方と話すと、みなさん常に不安を抱えていらっしゃるんですが……斉須さんほどになってもそうだとは。
斉須 あとはやっぱり、フランスでの友だちがいつ訪ねてくるかわからないですから。「マサオ、なにやってんの?」なんて言われない自分でいなきゃと思って日々やっていますね。
「おれ、やったぞ!」
佐久間 そんな思いを胸に、72歳のいまも調理場に立ちつづけられているんですね。うーん、斉須さんのようにずっと一線のクリエイターでいるためにはどうすればいいんだろうなあ。
斉須 夢想家でいること……じゃないでしょうか。

佐久間 夢想家。
斉須 はい。絵空事を描いたり、それをひっくり返したり……現実ばっかり見ないで、想像をめぐらせる。僕は料理についていつも「こんなのどうかな」ってひとり遊びをしているから、飽きないんでしょうね。
でも、考えるだけじゃなくてやってみることも大切です。外に出して、かたちにしてみないとわからないから。さっきも「あたりめ」を粉末にしてみたんです。ソースに使えないかなって。
佐久間 まさにこの本にもある「アイデアは実用化なしでは生きられない」ですね。あと、「やれたかもしれないことと、やり抜いたことの間には、大河が流れている」。——ここに僕、二重線引いてるんです。若いころは「おれだってやれたのに」って思ってばかりだったけど、この1行に雷を落とされました。やれてないんだから言う資格ないよなって。
斉須 そうですね。言いたくなることはあるけれども、まったく違うものだと思います。

佐久間 ああ、もうお時間です。最後にひとつだけ。36年間ここで「コート・ドール」をやっていて、今なおうれしい瞬間ってどんなときですか?
斉須 それはね……福島から出てきて、上野駅に立ってる18歳の自分に向かって(口に手を当てて)「おーい! やったぞー!」。
佐久間 おおーーー!
斉須 「東京でレストランやってんだよ、おれ」って言ってやりたくて。青い顔して、明日からどうなんだろって震えてた自分にね。それは毎日、思っていますよ。
佐久間 僕にとっては、今がまさにそうかもしれません。線を引きながら夢中でこの本を読んでいた25歳の自分に、「おーい! お前、20年後、対談してるぞ!」って言いたいです。
斉須 そんな……たいしたもんじゃないです。
佐久間 いやいやいや。今日も20年前と変わらない感動をいただいて、感無量です。斉須さんのご年齢になるまで誠実に仕事をしつづけたいし、ずっとフレッシュでいたいと気持ちをあらたにしました。がんばります。
ああ、今日はほんとうにうれしい時間だったなあ……ありがとうございました。また今度、家族と伺わせてください。
斉須 はい、ぜひ。お待ちしております!

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「うちの厨房にいる子の奥さんが、佐久間さんの大ファンみたいで。今度、自慢します(笑)」
「僕はメガネをかけないんですが、妻がJINSのメガネを使っているんです。お値打ちなのに、すごくいいものだと言ってました」
緊張の色を見せる取材陣に始終さりげなく、穏やかに話しかけてくださった斉須さん。その気取らなさと懐の深さに、感動しきりの取材でした。
さて、佐久間編集長の任期は5月末まで。最後にこの4ヶ月を振り返る記事をお届けして、この特集は結びとなります。最後の1本まで、楽しみにお待ちいただけますと幸いです。
■おふたりの書籍について
発売から20年、いまだ多くの人に読まれつづけ、料理業界に限らず熱狂的なファンの多い斉須さんの『調理場という戦場』。今年4月に発売されるやいなや、組織で働くすべての人に響く仕事論としてベストセラーになった佐久間さんの『ずるい仕事術』。いずれ劣らぬ名著、どちらもとってもおすすめです。

(こちらは文庫版。対談時に佐久間さんが手に持っているのは、2002年発売当時の単行本です)
