親の仕事を見ながら感じていた銭湯の問題点
——長沼さんは、おじいさんが開業した『萩の湯』を引き継いだ銭湯オーナーの3代目ということになるんですよね。
そうですね。この場所には戦前から萩の湯という銭湯があって、それが戦火で焼けてしまったんです。その跡地を祖父が買って、1949年に萩の湯の名前を引き継いで唐破風(からはふ)造りの銭湯を建てました。その建物で20年ほど営業をして、1970年にはビル型の銭湯に建て替え、2017年に今の建物になったという流れですね。
——そもそも、おじいさんが銭湯をはじめたきっかけは何だったんですか?
新潟出身だったから。でしょうか。
——どういうことですか?
理由は判然としないんですが、東京で銭湯をはじめた人って、実は新潟、富山、石川の北陸三県の出身者が多いんですよ。うちの祖父も1940年ぐらいに新潟から出て来て、墨田区の銭湯で修行しました。独立後は、最初に萩の湯を建てて、ちょっとずつ経営する銭湯の数を増やしてたんです。
——そのときから既に複数の銭湯を経営されていたんですね。
今ある萩の湯や寿湯、薬師湯のほかにも、墨田区の菊川にある高砂湯という銭湯や、麻布十番にあった小山湯という銭湯も経営していました。当時は、うちの祖父以外にも、複数の銭湯を経営している人がけっこういたみたいですよ。
——やはり当時の銭湯業界は、かなり景気がよかったということなんですかね?
そうだと思います。うちも一番多いときで7軒ほど経営していましたから。最後に買ったのが上野にある「寿湯」という銭湯で、それが1959年のことでした。けれども、その後は家庭風呂が普及して、銭湯自体は減る一途を辿ってきました。
——長沼さんが最初に経営した銭湯が「寿湯」。おじいさまから継いだのが2001年ですね。当時の銭湯業界は、どんな状況だったんですか?
都内の銭湯は1200軒くらいありましたが、どこもお客さんが減っている状況でした。
——そういう状況下でも家業を継ごうと思ったのは、なぜだったのでしょう?
多少は光が見えていたと言いますか。というのも、建て替えをしたきれいな銭湯には、お客さんがちゃんと入っていたんです。だから、新しいかたちの銭湯にしていけば、お客さんが増える可能性はあると思っていました。僕自身も、小さい頃からずっと家の仕事を見てきて、日常的に銭湯にも入っていたので、「自分だったら、こうしたい」という考えがありました。
——具体的に、どういうところを変えたいと思っていたんですか?
たとえば昔って、どこの銭湯でも無料でタオルを貸してくれたんですよ。でも、それを知るお客さんはわずか。銭湯未経験の方はみんな、準備が必要だと思っているわけです。これは、明確な改善点の一つでした。手ぶらで入れることを通りがかりの人にもわかるようにすれば、立ち寄ってくれるお客さんが増えるんじゃないかなと。
——それってもしかすると、昔はわざわざ伝えるまでもない当たり前のことだったのかもしれないですね。だけど、銭湯離れが進むうちに、知らない人のほうが多くなっちゃったとか。
そうかもしれません。とにかく当時は、お風呂屋さん側からすると「わかってる」と思っていても、お客さん側からすると「わからない」ことだらけだったんです。表から見ただけでは、どんな雰囲気なのか、シャンプーやボディソープはあるのか、値段すらわからない。だから、入ってみるしかないという。
——かなりハードルが高いですよね。
そうなんです。もったいないなと、小さい頃から思っていました。それに、無料でタオルを貸してくれるのはいいんだけど、そんなにきれいじゃなかったんです。自分だったら数十円を払ってでも、きれいなタオルを貸してほしいと思っていました。
銭湯を続けていくために新しい需要を作る
——長沼さんが引き継いだときの寿湯には、どのような課題があったのでしょうか?
僕が継いだ2001年頃は、お客さんの1日平均が205人でした。その翌年は195人で、年間で5%減っていたんです。資料を見るとピーク時の1日平均は400人ほどだったので、半分以下。このまま何もしなかったら、経営が成り立たなくなるのは明らかでした。
——そこから、どのようにテコ入れをしたのですか?
まずは定休日を減らして、営業時間を延ばそうと思いました。「いつ来ても開いてる」って感覚を、お客さんに持ってもらいたくて。そのために人員も増やしました。
定休日を月2回にして、15時半から0時までだった営業時間を、14時から深夜1時までに延ばして……とにかく利便性を高めようと思ったんです。
——なるほど。
当時は「自分の代で終わり。あと数年保てば」と言って、営業時間を短縮して銭湯を経営されている高齢者の方も多くいらっしゃいました。でも20代ではじめたぼくは、先が長い(笑)。モチベーションが違いますよね。
寿湯では、営業時間だけでなく店構えも変えました。番台形式の銭湯って暖簾をくぐったところに下駄箱があって、その先にスタッフがいる。要するに、外からはお店の様子が見えないんですよ。それだと入りにくいだろうなと思っていたので、よりオープンに、中の様子がわかるようにしました。この考え方は、萩の湯のエントランスにも引き継がれています。
——確かに中の様子がわかると心理的なハードルは下がりますよね。そうやってお客さん側の立場として、もったいないなと思ったところを改善していったと。
そうですね。営業時間を延ばして、店構えを変えて、タオルセットのプランを作ってから、お客さんの数は増えていきました。ただし、まだまだ課題は山積みで。肝心のお風呂場のほうは何も手がつけられず、古いままだったんですよね。どこにでもあるような銭湯だったので、あまり面白みがなくて、リピーターの獲得には繋がりませんでした。
——入り口はオープンで入りやすくはなったけど、さらに「また来たい」と思ってもらうための工夫が必要だったんですね。
当時の銭湯って基本的にお風呂は1種類しかなくて、しかもとっても熱かったんですよ。なぜかというと、昔はお湯の温度を42度以上に設定しないといけない法律があったんです。ぬるいと菌が増えちゃうということで。だけど、それって実は根拠がなくて、1991年くらいに撤廃されたんですよね。けど、熱いお湯のまま営業する銭湯が下町には多かった。
僕は熱いのがあんまり好きじゃなかったので、寿湯を継いでからお湯の温度を下げました。そうすると年配の常連さんは足が遠のいてしまったんですけど、若いお客さんが増えたんです。それで熱くない銭湯にも需要があるとわかったので、思い切ってお風呂を改装しました。今まではひとつだった浴槽を2つに分けて、片方は熱いお湯、もう片方はぬるいお湯ということにしたんです。
——好みに合わせて選べるように。
はい。やはり長く続けていくためには常連さんはもちろん、若いお客さんにも来てもらう必要があったので。あと、昔の銭湯には庭に池があって、そこで鯉が泳いだりしてたんですよね。寿湯にもそういうスペースがあったんですけど、そこは露天風呂にしました。
——それはかなり思い切った改装ですね! お客さんからの反応はいかがでしたか?
すごく喜んでもらえましたね。店構えを変えたことでお客さんの1日平均が240人ほどになり、お風呂の改装で360人、露天風呂を作ってからは550人くらいになりました。
——家にお風呂がある人が多いという状況は変わっていないにも関わらず、なぜそこまでお客さんが増えたのでしょうか?
身体を清潔に保つためにくるのではなく、健康や、リラックスするためにいらっしゃるお客さんが増えたからだと思います。一種のレジャーといいますか。
僕自身もいろんな銭湯に行くんですけど、やっぱり入った後はすごくスッキリするし、心がリフレッシュできますよね。今、仕事でもプライベートでもスマホやパソコンに触れている人が多いと思うんです。だけど、お風呂入っている間って、それらから離れられるじゃないですか。そうやって無心になれるのが、銭湯の魅力のひとつだと思います。
——強制的にスマホから離れることで、何かに追われているような感覚から解放されますよね。そういうふうに銭湯に求められる役割も変わってきているんですね。
銭湯の役割は昔とはかなり違っていると思います。だけど、リラックスできる場所という意味では、今も昔も同じなのではないでしょうか。
「風呂の湯は、溢れさせろ」祖父のスタイルを引き継いでいく
——上野の寿湯の経営が安定した後、2017年には隣町である鶯谷にあった「萩の湯」の方を大幅にリニューアルされます。この決断には、どのような背景があったのでしょうか?
寿湯の改装を通じて、広くていい設備の銭湯を作れば、お客さんは来てくれると思ったんです。先代だった父がちょうど「萩の湯」の建て替えを検討していたので、男湯と女湯を違うフロアにして、ビル全体を使ってとびきり大きな銭湯を作ろうと提案しました。父は「そんなに大きなものを作って、借金が返せなくなったらどうするんだ」と心配していましたけど(笑)。
——長沼さんたちの経営は上向いていたとはいえ、依然として廃業する銭湯も多い状況。お父さんのご心配もごもっともだと思います。そのときに長沼さんが思い描いていた新しい萩の湯は、どんなものだったんでしょうか?
寿湯がキャパオーバーになっていて、土日はゆっくり入ってもらえないような状況だったんです。だから、いつ来てもゆったり入れるお風呂にしたいと思っていました。そのために浴場の面積をとれるだけとって、なるべく浴槽を広くするというイメージでしたね。
——実際に完成した萩の湯はすごく広いし、お風呂の種類もたくさんありますよね。サウナも小さい銭湯だと順番待ちになったりしますが、とても広々していて快適だなと感じます。
ありがとうございます。そう言ってもらえるのはうれしいですね。
——いい銭湯であるために心がけていることがあれば教えてください。
いい銭湯にするためには、やはりマメに掃除をしないといけません。なので、1時間に1回は洗い場と脱衣場をよく点検して、ゴミが落ちていれば拾い、常に清潔さを保つように心がけています。今となってはあたりまえですが、それが銭湯にとっては一番大事なことなので。あとは、お客さんへの挨拶をしっかりすることですね。
——銭湯経営をする上で、おじいさんから教わったことはありますか?
僕が継いだ時点で祖父は80歳を超えていたので、そんなに一緒に働いたわけではないのですが、いつも言っていた「風呂の湯は、溢れさせろ」というのは守るようにしています。
——溢れさせる?
はい。お湯が常に満タンだとお客さんが喜んでくれるし、溢れ出ることで常にきれいな状態を保てるんです。だから、お湯はケチらず、損して得取れとよく言ってましたね。商売をしていると、ケチりたい気持ちにもなるんですけど、それはお客さんのためにはならないなと思って、お湯はいつもたっぷり入れています。
——そうやっておじいさんの代から引き継いでいる要素がある一方で、長沼さんの代になって意識的に変えたことはありますか?
備え付けのシャンプーやボディソープを置いたり、脱衣場にティッシュや綿棒を用意するというのは、僕の代からはじめたことですね。当時は他の銭湯ではほとんどやっていませんでしたし、祖父や父もそこまでのサービスは必要ないという考えだったんですけど、これからの時代には必要だと思ったので。そこも、損して得取れという意識はありました。
——やはり根幹には、「お客さんに喜んでもらいたい」という気持ちがあるんですね。
お客さん目線で考えるのが一番大事ですよね。お客さんのためにやっていけば、売上は伸びていくと思っているので。
昔の銭湯って、お客さんが来て当たり前だったから、お役所仕事みたいになっていた部分もあったんですよ。その辺も変えていかなきゃいけないなとは思っていたから、クレームのようなご意見だったとしても、自分が相手の立場だったらどうかを考えながら、改善できるところは改善しています。
——その積み重ねによって、萩の湯はどんどん進化しているんですね。
そうなっていけるように頑張ります。
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長沼さんのお話を伺っていて、「あたりまえを変えていく」というのは必ずしも革新的な一手を打つことではなく、小さな気付きと積み重ねによっても実現できるのだなと感じました。
お客様の声に耳を傾け、それを実直に実践していく。そうすることで長沼さんは「銭湯業界のあたりまえ」を、いつの間にか過去のものにしてきたのです。
銭湯にシャンプーやボディソープが設置されていることや、きれいなタオルが貸し出されていること。その変化は劇的なものではないかもしれません。しかし、着実に選ばれていった結果として、次のあたりまえを作っていったのだと思います。
「外から店内の様子がわからず、入りにくい」。実はこれ、かつてメガネ業界が抱えていた課題とまったく同じで、驚きました。昔は料金体系が不明瞭だったことや、閉ざされた雰囲気で入りにくかったことなど、長沼さんが取り組んできた改善はJINSが向き合ってきた課題にも重なる部分が数多くあります。
JINSも引き続き、お客様の側に立ったサービスを生み出していきたいと思います。