「メガネづくりのバックヤードって見たことあります?」
突然の柳下さんの質問に、ぶんぶんと首を横にふる私たち取材班。
「いやあ、先日JINSさんでいまかけてるメガネをつくったら、スタッフの方が特別に中を見せてくださったんです*。メガネのレンズって元は大きくて、直径10センチくらいあるものをフレームに合わせて削るんです。『いま削っているのは調光レンズです』って説明を受けながら見ていたら、なんと削るときにペペロンチーノの匂いがしてきたんですよ! ……ほんとにほんとに」
柳下さんによる愉快なおしゃべりではじまった、この度の取材。止まる気配のないすてきなエピソードを「あはは」と笑って聞いていたが、そうだ、私たちはインタビューをしなくてはいけないんだった……。相手はことばのプロ。「本ができるまで」に必要な編集、そして校正と校閲の仕事をしている方だ。
そう思うとギュッと身構えるような気持ちになるが、目の前の柳下さんは奔流(ほんりゅう)した川のごとく、次々と興味深い話を披露してくれる。まずは、「ことば」を意識し過ぎることをやめて、柳下さんのお話に身を任せることにしよう。
*取材の一環として見学いただきました。
世界を旅して「ことば」のつたなさを知った
愛知で育った柳下さん。エンジニアであったお父さんの仕事の関係で、幼いころからコンピューターが自宅にあり、簡単なゲームを自分でプログラミングしたり、コントローラーを自作したりする少年時代だったという。
「コンピューターだけでなく、将棋や麻雀、チェス、バックギャモンといった2人で対戦するようなボードゲームも、友人たちと3人用のルールを考えて遊んでましたね」
ゲームを自作したり遊びをアレンジして楽しむあたり、編集者としての、また鴎来堂をひとりで立ち上げ50人近くを抱えるまでに育てた、今の柳下さんにつながる素質を感じる。
「ひとり遊びや思考実験も当時からしていましたね。『ジャッキーごっこ』っていって、僕がもしジャッキー・チェンだったら、いまいる場所でどんなアクションシーンを撮るだろう?ってリアルに想像するんです。けっこう楽しいですよ、いまでもたまにしてます。うん、これ、なに言ってるかわかんないですね。言わなきゃよかった(笑)」
そんな柳下さん、子どものころから気になっていたことがあるという。
「『夕日』ってすんごくきれいなときがあるじゃないですか。ピンクや紫、群青色、黒や白……。それらがぐーっと圧縮されて、雲の間から照りあがってくるシーン。あの瞬間の『夕日』って名前がないなと思って。あんなにきれいなものなら、名前があってもおかしくない気がするんですよね。
たとえば、霧(きり)と靄(もや)と霞(かすみ)って、よく似た気象現象を違う名前で呼ぶようになったのは平安時代なんですけど、僕からしたら同じガスに思える。それ以外にも平安時代の人は、着物の重ねや色の組み合わせでたくさんことばをつくったのに、どうしてこの不思議な色が重なる『夕日』に名前をつけないんだろうって。子どものころから疑問に思っていたんです」
なるほど、そう聞くとたしかにその単語がないことが不自然に思えてくる。しかし、子どものころからそこまでことばについて考えを深めていたとは……。
「ことばの話でもうひとつ。『摩天楼』って表現、僕すごく好きなんです。もともとはニューヨークの高層ビルをあらわした、『skyscraper=空をひっかく』という英語からきていて。たしかにニューヨークの空を見たとき、ビルの合間を通りすぎる雲をビルがひっかいているように見えたんです。そのときに、このことばを考えたコピーライターというのかな、すっごいな!と思って。
しかも、それを“天をみがく”という意味の『摩天楼』と訳した翻訳者たちも、言語の美しさを知りつくしてる。堀口大學や夏目漱石、正岡子規、森鴎外……当時の翻訳者たちのことばへの愛を感じたんです。って、こんなに自由に話しちゃっててだいじょうぶですか? それとね——」
ひとたび思考し、語りはじめた柳下さんはすぐには止まらない。 身を任せすぎると息継ぎ(相槌を打つこと)で精一杯になりそうなので、話をすこし進めよう。
そんなふうに、幼少期から単語の成り立ちに興味を持っていた柳下さん。世界をおもしろがるためのフィールドを「ことば」にしようと考えはじめ、英語圏に行けば自分の見識が広がるかもしれないと、19歳で海外へ旅立った。
ニュージーランド、オーストラリアからスタートし、南米、ヨーロッパ各国、中国と続いた「ことば」をめぐる旅は、4年間で10カ国に及んだ。
「各国でいろんなことをやりましたね。おもしろかったのは、上海蟹のオスとメスを見分ける仕事とか。ほかにも漁船に乗ったり、羊の毛を刈ったり、バナナを採ったり、中古車販売……は儲かったけど、途中でパートナーにお金を持ち逃げされちゃったりね(笑)。
いろいろあったけど日本語圏から飛び出して学んだことは、ことばって本当につたないツールだな、ということ。伝えたいことが100%正しく伝わるってことは絶対にないんだなと、骨に沁みました。『自分以外の人間は、ぜんぶ自分じゃない』し、ことばは誤解を前提として存在しているものだと腹からわからせてもらったんです。それだけでも、海外生活をした意味がありましたね」
「迷いねこ」を探して編集の世界へ
旅を終え帰国した柳下さんは、東京の西側にアパートを借りた。理由はさしてない。友だちの多い東京ならどこでも良かった。……が、さすが引きの強い柳下さん。ここでミラクルが起きる。そのアパートに前に住んでいた夫婦とひょんなご縁でつながり、なんと出版の仕事を紹介してもらったのが、編集・校閲の道に入ったきっかけだったという。
「ある日、ポストに『ねこを探しています』っていう手紙が入っていたんですよ。僕の前にその部屋に住んでいたご夫婦の猫がいなくなってしまって、もしかしたら前の家に帰ってきているかも、と思ったみたいで。当時は日本に戻ったばかりで仕事もなかったので、ふたりといっしょになって猫を探していたんですよね。
そしたらご夫婦が顔の広い方で、編集プロダクションを紹介してくれたんです。昔から本を読むのは大好きだったし興味はあったけど、そのころはまだ出版を生業にしたいとは思ってなかったんですけど」
柳下さん、当時24歳。まるで映画のような展開だ……。そこから柳下さんは書籍、雑誌、漫画と編集の仕事を歴任し、さいごは出版社に入り川上から川下まで本づくりの全流域を経験していくことになるが、その詳細はまた別の機会に譲る。
ところで、ここではじめて本人の口から「編集」というキーワードが出てきた。編集者と校正・校閲者の両方の顔を持つ柳下さんにとって、「編集者」という仕事にはどんな役割があると考えているのだろうか?
「『著者』という0から1を生み出す人がいます。『編集者』は情報整理をしながら、著者から生まれた1を100にする仕事です。そのうえで著者のやりたいことを理解して、読者が意味がとりやすくなるよう赤字(修正)を入れていったり、著者を励ましたり、それぞれの職種(校閲者やデザイナーや営業など)の人たちに指示を出したり、バトンをつなぐ係でもある。
さらに『編集』という職能には、さまざまな技術が必要だったりもします。最近ではプロデューサーやディレクター、企画を生み出す作家性というのも、編集という仕事のなかに分類されるんじゃないかと思って。これは全部やれるべきということではなく、同じ職種でも人によってやり方があるようにそれぞれの編集者によって異なる、という意味でね」
筆者も雑誌編集を経ているので、共感できるところがある。
たとえば、プロジェクトや企画に多くの人を巻き込み、大きく育てていくプロデューサーみたいな編集者(勘定にも強かったりする)。ディレクター的に裏方に徹し、気づかいたっぷりの編集者(大事な会食や手土産の手配もうまかったりする)。そして、自分の読みたいものやほしいものを企画できる編集者(これが柳下さんが言うところの作家性のある編集者だ)。キャラクターが立っている人も少なくない。
柳下さん自身のタイプは? と聞くと、「僕はつくりたいものがあるタイプかなあ。校正・校閲者としての経験から、裏方に徹するタイプでもあるかもしれませんね」などと言う。
編集者として数多くの本を手がけながら、柳下さんは次第に本づくりに必要不可欠なもうひとつの仕事「校正・校閲」にフォーカスしていく。
鉛筆一本で可能性を喚起する校閲者
「出版の世界で働いてみて、はじめて『校正・校閲』という仕事があることを知って。これはおもしろい仕事だぞ、と思ったんです。100%読者に近い感覚で、純粋に本を読めるぞ! って。でも、いざ校正・校閲の仕事をしてみようと思ったら、活躍しているのは5、60代のベテランが中心で、『このままじゃ本をつくる次の世代がいなくなってしまう!』と危機感を感じて。それで独立を機に、校閲を志す若い人たちのためにももっと業界の門戸を開こうと思い、校正・校閲に特化した会社をはじめたんです」
ついに登場した「校正・校閲」ということば。編集者に対して校正・校閲者とは、いったいどんな仕事なのだろう。そして、柳下さんの言う「100%読者に近い感覚」とは……?
「校正・校閲とは、出版される(リリースされる)前の本やテキストから間違いを見つける仕事です。間違いにもさまざまな種類があって、内容の整合性や表記統一、固有名詞や事実関係、差別語・不快表現——これは最近のことばだと“炎上”の種になるようなものですね。校正・校閲は、これらの間違いの可能性をすべて提示する仕事です。
ちなみに、『校正』は文字や文章を比べあわせて、誤植や表記統一の誤りなどのオペレーションミスを見つけること、『校閲』は書かれている文章の内容から、文字の間違いや事実の誤り、内容の齟齬などを見つけることをさしています。
先ほど、『著者』は0から1を生み出す人、『編集者』は1を100にする仕事、とお伝えしましたね。『校閲者』はいわば、100を100のまま届けようと仕事をする人たちなんです」
どんなに内容が良くても、間違いがあってそれが炎上の種になってしまったり、リリースしたものを回収することになってしまえば、大きなマイナスになってしまう。なにより、著者に不利益があってはいけない。それを防ぐために校正・校閲の仕事があるという。
と、ここで柳下さん。「ちょっとやってみましょうか」とペンケースから定規を取り出して、原稿の1行目だけが見えるように当てた。
実際に私が書いてきた原稿を読んでいただく。
「校正・校閲の作業をするときは、1文字ずつ読むんです。本当に次の文字も目に入れたくないので、こうして隠しながら読んでいきます」
ずっと陽気に話を聞かせてくれていた柳下さんが原稿に目線を落とすと、部屋の中に静寂が広がった。柳下さんの鬼気迫った表情に取材班も思わず息を呑む。
いま、柳下さんが行ってくれている「鉛筆出し」という作業と、一般的に校閲者がやっていると思われがちな原稿に赤ペンで修正を入れる「赤入れ」という作業だが、実は同じような作業に見えて大きく違う。まさにここに「校正・校閲」と「編集」の違いがある。
「赤字は『ここは直す』と確定した事項だけに入ります。だから『ここは間違ってるんじゃないですか? もし間違ってたら赤字にしてください』という意味で、黒い鉛筆で間違いの可能性のある箇所を書き出しているんです。
それを赤字にできる権限を持っているのは、厳密には編集者だけ。編集者は著者に黙って赤字を入れることはないので、著者の意向のもとで最終的に赤字を入れて修正点が決まっていく。
校正・校閲の『鉛筆出し』は、その手前にある作業。さっき『100%読者の視点』って言ったのは、校正・校閲者は著作者ではないし編集者でもないから、内容のリライトはしようとも思ってないというか、そもそもその権利がない。編集が『判断する人』だとしたら、校正・校閲は編集に対して『喚起する人』っていうイメージですね」
原稿に鉛筆出しを終えた柳下さん。筆記用具をしまって顔をあげると、ふたたび柔らかい表情に戻って話を続けた。
「もっと言うと、僕が編集するときもそうですが、編集者はもうすこし作品に近いところにいるような気がします。著者のとなりを走りながら、いっしょに作品をつくっていく。『この人のことばや作品を、もっとたくさんの人に知ってほしい』と思ったときに、編集者から声をかけて一冊の本ができることもありますね。
だからこそ、もちろん例外はありますが、基本的には編集者は『つくりたいもの』を持っているべきだと思っていて。校正・校閲と違って、作品に対してひとりしかいない分、著者でなくてもその人の意思は必ず入ってくる。どこまで行っても編集って、どこか作家性を持った仕事なのかもしれません」
ことばを「見る」こと、ことばを「読む」こと
最後に、はじめに柳下さんが出してくれたキーワード「見る」と「読む」について聞いた。
「編集者は『見る』も『読む』もするけれども、校閲者は『読む』に徹しています。どういうことかというと、ひとかたまりで情報を認識するのが『見る』。一文字ずつ読むのが『読む』。
たとえば、中央道を走っているときに標識に『新宿100km』って書いてあったら、僕たちは『新宿まであと100kmなのか』って瞬時に理解できるじゃないですか。一文字ずつ『新』『宿』って一文字ずつ読まずに、『新宿』という地名を記号化して、ことばをひとつの塊として識別しているんですよね。
でもたとえば、はじめて日本に来て、漢字を習ったばっかりの外国の人にとっては一瞬の記号は意味をなさないので、一文字ずつ理解しようとするわけです。そうやって、文字をひとかたまりに取らない状態を意識的につくるのが、校閲の『読む』という状態。『一文字ずつ読んでいく』というのは、そういうことです」
なるほど、では「編集」はどうだろう。
「一方で、編集の仕事の際には『見る』ことも大事です。かたまりで見ながら文章を読むというのもそうですが、たとえば書籍の表紙をイメージして、『これ店頭で目立つな』とか『帯のバランスいいな』という、ビジュアルや戦略も含め大きく見ることも必要です。そしてもちろん、校閲とすこし目線は異なりますが、内容を読み込むことも。そこに書いてある文章をより良いものにして読者に届けるのは、編集の仕事ですからね。
そう考えると、一文字ずつ『読む』状況をつくる校正・校閲に対して、『見る』と『読む』のバランスを取りながら仕事をするのが、編集の視点という気がしますね」
編集者は作品を見て、読み込みながら著者に伴走することで、筆者のつくった大事な1を100に持っていく仕事。そして校正・校閲者がその作品を構成する一文字一文字を読むことで、100を100のまま読者に届ける。一冊の本ができあがるまでには、彼ら彼女らの「見る」技術と「読む」技術が詰まっている。
これまで、なんとなく理解はしていたものの、具体的な職能や作業する姿まで想像できていなかった「校正・校閲」という仕事も、柳下さんが原稿に向き合う姿を見たときに、そのたいせつさが身にしみてわかった気がする。
「良いとか悪いとかじゃなくて」「もちろん例外はありますが」「新聞・雑誌・文芸・漫画など媒体によってやり方は変わりますが」インタビュー中、柳下さんの口からは、こうしたフォローのことばが幾度となく出てきた。著者によりそい「見る」と「読む」2つの視点を使いわけながら、あらゆる観点で出版物に携わってきた、彼ならではの気づかいある受け答えだ。
それだけではない。ひとつの問いに対して、いくつもの考え方ができるように。自分の想像の外にいる、だれかが傷つくことのないように。「ことば」自体を、慈しむように。そこには「ことばは100%伝わらない」と知る、柳下さんだからこその余白があった。
「ことば」は誰にでも扱える。でもその扱いをおざなりにすれば、分断を進めることにだってなりかねない。誰よりも「ことばの不完全さ」を知ればこそ、柳下さんのこまやかでおおらかな姿勢は、ことばで伝えることを諦めない意思を示していた。
【プロフィール】
栁下 恭平 (やなした きょうへい)
1976年生まれ。書籍校閲の会社『鴎来堂』代表、書店『かもめブックス』店主。10代のころに世界を放浪しながらさまざまな仕事を経験し、帰国後は出版社に勤務。28歳のときにアパートの一室で鴎来堂を立ち上げる。2014年11月、東京神楽坂に『かもめブックス』をオープン。本の出版から販売まで、さまざまなかたちで書籍に関わる仕事に携わっている。