「とくに好きなのは、荒川ロックゲート。あそこは“日本のパナマ運河”と言われていて。荒川と隅田川の水位が違うので、ゲートを開けたり閉めたりすることで水位を調整するんです。なかなかめずらしいんですよ。お気に入りのルートのひとつですね」
世界を股にかける指揮者・三ツ橋敬子さんが目の前で楽しそうに語ってくれているのは、意外にも船の操舵の話。7年前に船舶免許を取得し、小さな船に乗って都内の川を航行することがあるという。
「春は、隅田川を浅草のほうまで上がっていくのもいいですね。もう一面に桜! 花をつけた枝が目の前に近づいてくることもあって、すごくきれいなんです」
身振り手振りを交えたお話を聞いているだけで、三ツ橋さんが舵を取る船でいっしょに桜咲く墨田川を眺めている気分になる。頭の中を勝手に流れ出した映像からふと我に帰ったとき、このひとは、人にイメージを伝えるプロ、指揮者なんだということを思い出す。
春の墨田川でのんびりしていたかと思うと、お次はイタリアの明るい海へひとっ飛び。船舶の免許をとるきっかけの話をしてくれた。時は、指揮者となってイタリアで生活をしていたころ。
「ボートを借りて仲間と小さな島にクルーズに出かけたんです。適当なところに錨(いかり)を下ろして、ぷかぷかと船を海に浮かべながら、冷えた白ワインでランチタイム……っていうのが楽しくって! 日本にいるときには経験したことのない休暇の過ごし方だったんです」
そこから、自身で波を切り、船の操舵もしてみたいと船舶免許を取得。すごい行動力だ。
それにしても、いきなり船の話で盛り上がって、どんどん脱線していくわれわれ取材陣のトンチンカンな質問にも、嫌な顔ひとつせず気さくに受け答えをしてくれる。ふと、三ツ橋さんはどんな子どもだったのだろう?と興味が湧く。興味のあることにまっすぐで、なにごとにも勉強熱心。聞けば、子どものころからそれは変わっていないという。
「女性初」に気づいたのは、突き進んだあとだった
音楽との出会いは、まだ幼稚園に通っていたとき。仲良しの幼馴染が音楽教室に通うことになり、「わたしも行く!」と希望したことがきっかけになった。
小学校に上がるころには大人顔負けの腕でピアノを演奏し、自ら作曲もするほどに。さらには金管バンドや合唱団にも所属。金管バンドではトランペットやトロンボーンのみならず、音楽室にあったあらゆる楽器に触れて過ごした。
そんな幼少期を経て、中学生のころにはすでに指揮者を目指すようになったという。そもそも、指揮者ってどうやってなるんですか?
「まずは音楽大学を目指す人が多いですが、家庭によっては、高校卒業と同時に海外に行く人もいます。でもうちはいわゆる一般的なサラリーマンと専業主婦の家庭で、音楽家庭ではなかった。高校出たら大学行って就職してっていう考えの両親で、『私立の音大なんて、とんでもない!』みたいな(笑)。だから、私には選択肢がひとつしかなかったわけです。国立の音大で指揮科があるところしか行けない、それがダメだったら諦めて普通課の大学に入る、という約束でした」
もはや、崖っぷちの進路じゃないですか……。
「そうですよ。あのころのわたしは、競走馬みたいに前しか見えなかった。ひたすら突き進んでいましたから」
競走馬が、ただ前のみを見てひた走るように、まっすぐに突き進んだ受験だった。そのすさまじい勢いの甲斐あって、志望していた東京藝術大学音楽学部の指揮科に進んだ三ツ橋さん。大学、そして大学院の在学中にも、小澤征爾、小林研一郎といった世界の名だたるマエストロに師事し、研鑽を積んでいった。
その後、2008年にはイタリアで行われた国際指揮者コンクールにて史上最年少で優勝し、2010年には別の国際指揮者コンクールにて、女性初となる準優勝を果たす。こうして指揮者としての受賞歴や共演した楽団の数を重ねていくうちに、現在では世界中にその名を知られる指揮者となった。
輝かしいプロフィールの中にある「女性初」という言葉。指揮者の世界ではこれまで女性の活躍がめずらしかったのだ。そんな中でも、三ツ橋さんが指揮者を志していたころ、日本人の女性指揮者として活躍していた人がいる。のちに、三ツ橋さんも師事することになるが、当時は日本人女性指揮者のパイオニア的存在であった、松尾葉子さんだ。女性の指揮者像について聞いてみると、時代を牽引する松尾葉子さんの存在があったという前提で、意外な答えが返ってきた。
「わたし、中・高って女子校だったんです。当然といえば当然ですが、生徒会も部活も委員会も、ぜーんぶ女子が係を担うんですよね。そんな中で育ってきたからか、指揮者は男性がなるものだ、なんて考えたこともなかった。松尾先生をはじめとする先人のみなさんが時代を切り拓いてくれたからその感覚でいられるのかもしれませんが、良くも悪くも、今で言うジェンダー的な感覚がすっぽり抜けているんですよ」
指揮者になろうと思ったときも、ひとつの職業を選ぶということ以外の何者でもなかったという。固定観念がはじめから存在していなかったということか。
しかし、指揮者コンクールで優勝すると、必ず聞かれる質問があったという。
「女性初の受賞者ということを、どう思うか?」と。「指揮者」であることのほかに、自分ではまったく想像もしていなかった「女性初」という肩書きがついたのだ。
「そこから考えるようになりましたね。演奏を聴きに来るお客様は、男性と女性の指揮の違いを比較することはできます。けれど、私自身は男性指揮者の立場をやったことがない。だから違いがわからないんですよね。そのことに気づいて、自分自身じゃないところから見えている世界についても考えるようになりました」
「見られること」をはじめて意識し、考えた。
そこから女性であるというアイデンティティにも向き合うことができたという。それにしても、三ツ橋さんの女子校という場のとらえ方がユニークで痛快! ますます好感をもった。
「長袖を着なさい」見た目で音が変わるオーケストラの演奏
三ツ橋さんを指導した多くの指揮者の中に、ジャンルイジ・ジェルメッティというイタリアの名匠がいた(2021年逝去)。ジェルメッティは、三ツ橋さんに指揮台に立つときは長袖を着るようにとアドバイスしたという。
「ジェルメッティ先生は、半袖を嫌っていたんです。長袖を着ていても腕まくりをしたりするとよく怒られました。『お前、洗濯屋じゃないんだぞ!』って。そのころはわからなかったんですが、指揮者として現場に立つ経験を重ねていくうちに理由がわかるようになりました。わたし、女性だからっていうのもあるかもしれないけど、手首に迫力がないんですよ。だから、手首が隠れているほうが、自分が指揮をするオーケストラの音に圧が出るんですよね」
以来、指揮台に立つときには決まって黒い長袖を着用することにしているという三ツ橋さん。……手首の太さで音が変わる?
「見た目の印象が、オーケストラの音にも影響してしまうんです。たとえば指揮棒の太さや長さ、材質が変わるだけでも音が変わります。太い指揮棒なら圧のある音、細い指揮棒なら繊細な音、というふうに。しかも、同じ指揮棒でも違う指揮者が使うと、さらに変わる。指揮者によっては曲ごとに指揮棒を変える人もいます。おもしろいですよね」
三ツ橋さん自身、指揮棒の太さや長さを変えて、出る音の変化を研究していたこともあるのだという。指揮棒についての興味深いお話を伺ったところで、いよいよ指揮者の仕事について、音楽の見方をひもといていこう。
楽譜を見ることは、時代を超え作曲者とつながる探究の旅
机の上に置かれた交響曲やオペラのスコア(全パートが表記された楽譜)。演目に登場するすべての楽器(オペラの場合は歌手・合唱も)の楽譜が一覧で見ることができる、指揮者にとってなくてはならない設計図のようなものだ。
実際に開いて見せてもらった。この20列にもなる楽譜、三ツ橋さんはどのように見ているのだろうか?
「たとえば、このラフマニノフのピアノ協奏曲第3番。スコアに書かれている音楽表現をしっかりと読み込んだうえで、ですが、タイトルの下に『ヨーゼフ・ホフマンに捧げる』と書いてあります。ここ、気になりますよね? この人はいったい誰なんだろう?と調べます」
調べてみると……
ヨーゼフ・ホフマンとは、19世紀末から20世紀初頭に活躍したポーランドのピアニストで、ラフマニノフも彼のピアノ演奏を高く評価していた。ラフマニノフはホフマンを自分の作品の最善の解釈者と認め、「ピアノ協奏曲第3番」を献呈した。しかし、ホフマンはこれを演奏しなかった。同じピアニストであり、ライバルでもあったラフマニノフによる作曲を受け入れられなかったのでは?
——などという説がでてきた。なるほど、おもしろい。その時代の音楽家の相関図が見えてくるようだ。
「ほかにも、このころのラフマニノフがどんなことをしていたのか? 作品30とあるけどこの前後に書いていたもの、取り組んでたことは何なんだろう? ラフマニノフが生きていた時代はどんな世界情勢だったんだろう? とか、1つの曲からいろんな世界の扉を開いていき、曲への理解を深めていきます」
交響曲や協奏曲、管弦楽のような幾多の音の重なりを読み解いていく方法と、オペラのようなセリフがある曲の読み解き方とではまた違う。
後者の場合、言葉の意味をすべて辞書で引き、一つひとつ確認していくという。
「オペラには言葉があります。そこが大きな違いですね。たとえば、プッチーニというイタリアの作曲家は、謎かけが好きなんです。ドレミという音の中にもそれぞれ意味があって、音階の中に隠れている掛詞(かけことば)を探す、なんていうこともやりますよ。スコアに載っている歌詞から、プッチーニの真意を読み解くっていう。ちょっと推理小説みたいでしょ」
楽曲によっては、トータルで8キロほどの重さにもなるという大量のスコアの読み込みをすることも。楽譜から見つけた小さな疑問を調べ、作曲家が生きた時代を調べ、さらに言葉を調べ……。ひとつひとつ探求していく、果てしない旅路。
楽曲を深堀りしながら全身に取り入れる作業が終わると、次はリハーサルが待っている。
指揮者がからだひとつで伝える過去・現在・未来
指揮者が向き合うオーケストラの演者たち。多いときには100人を超えることもある。
ことばを使いこなし、演者たちとイメージを共有し、音を融合させていく作業。「指揮者の一言で演奏が変わる」とも言われる。本番前のリハーサルでは、どんなやりとりをしているのだろうか。
「指揮は『伝達の芸術』と言われるだけあって、伝えるための表現はさまざまです。具体的に指示を出すこともあるし、抽象的に表現したほうが伝わるときもある。なにかにたとえてみるときもありますね」
インタビューの中で三ツ橋さんが言葉にしてくれた表現をいくつか抜粋してみた。
〈具体的表現〉
・今よりも80%音量を小さくお願いします
・もっと短く!
・こっちよりもこのパートは弱いバランスで鳴らしてください
〈抽象的表現〉
・遠いところの夕日を眺めてしみじみしている感じ
・ザラザラした麻ではなくて、ふぅっと流れるシルクのように(手触りにたとえる)
・まろやかな音、刺々しい音(音のカタチを想像する)
これらはほんの一部ではあるが、オーケストラに指示を出すときの言葉たちだ。これまで共演してきた楽団や演者のみなさんは、当然プロだ。イメージを共有するためにどんな表現をするかは、長年培ってきた嗅覚によるものが大きいという。
「どこまで何を伝えるか、は常に探りながらやっていますね。たとえば、プロの奏者の方々に具体的な指示を出しすぎては失礼になることもあります。一方で、年末のイベントなどでその日初めて集まったアマチュアの合唱団の方々を指揮するときには、一つひとつ具体的に指示を出すことも。そこはしっかりアンダーコントロールしないと、合唱団のみなさんが路頭に迷うことになってしまいますから」
もちろん、三ツ橋さんの仕事場は日本にとどまらない。海外のオーケストラとも共演をするときには無論、外国語でコミュニケーションをすることになる。だが、日本語を使えないからこそ伝わることもある、と三ツ橋さんは言う。
「母国語同士じゃないほうが通じ合える場合もあるんですよ。アプローチが変わるっていうのはありますけど。たとえば、声に出して歌ってみたり。感覚的に近くないという認識があるから、お互いがわかろうとする。ことばが通じないからこそ、わかり合おうとする姿勢があるんです」
リハーサルはイタリア語で「prova(プローヴァ)」、「試す」という意味がある。お互いの力を持ち寄って、ひとつに合わさるまで試行錯誤をくり返す。練習や鍛錬ではなく、お互いの力を信じ合い、さし出し合うからこそのリハーサルなのだ。
さらに、指揮者はからだひとつで、演奏を変える。
「からだの動きが言語になるわけですよね。リハーサルでは喋ることができるけれど、本番ではことばを発することはできない。だから、本番では『(ことばではない)何かを使って伝える』。これがすべての伝達手段になります。だからこそ、からだや目をどう動かせば、非言語のボキャブラリーが増えていくのかっていうのは、指揮者にとって永遠の課題だと思います」
ふと、三ツ橋さんの舞台を想像してみた。
小柄なからだが指揮台に立つ。聴衆に背を向け、指揮棒が降ろされた瞬間、三ツ橋さんが何倍にも大きく感じた。舞台上からはその表情はうかがい知ることはできないけれど、顔からも音楽を伝えようとしているのでは。リハーサルではない、本番のすごみ。このとき、三ツ橋さんは何を見ているのだろう?
「本番中は、過去・現在・未来という3つの時制を生きているんです。現在(いま)出ている音をどういうふうに展開していくか、今こうなってるから、じゃあ未来はどうなるのかっていうことを予測しながら進んでいく。対して、ここに至るまでの過去の音がどう流れてきたか。
音楽って目に見えない、一瞬で消えてしまうもの。カタチのないものをどういうふうにつくっていくのか。自分たちの頭の中にしかカタチがないんですよ。それをこの3つの時制を見ながら、スコアの『終止線』、音楽の終わりの線までどうやって流れていくかを見るのが、本番という時間なんですよね」
指揮棒が降ろされた瞬間からはじまり、常に変化しつづける過去と現在と未来の音。それは、墨をたっぷりと含んだ筆が和紙に触れ、動き始めることにも似ている。踊るように筆先が曲がったり、起伏のある筆致になったり。
「ひとつの曲を大きな一筆書きのように表現する、というのもよく言われることなんです」
見えないけど見えている聴衆の姿
指揮者はひとりだけ、舞台に背を向けている。しかし本番中に向き合うのは、奏者だけではない。聴衆も一手に引き受けなければならない。だが、演奏中は観客のほうを向くことができない。三ツ橋さんは、指揮をしながら観客の様子を感じているのだろうか?
「わかりますよ! とくに子どもたちの反応はものすごく伝わってきますね。熱量というか。大人の方だって、わかりにくいというわけじゃない。もっというと、集中しているのか、眠っていて静かなのかくらいわかります」
三ツ橋さんは、クラシックの間口を広げる活動を長年続けており、子どもたちとつくるクラシックコンサートも企画してきた。ときには、子どもたちが舞台に上がり、それぞれの楽器のすぐ横に腰かけながら演奏を聴く、なんていう大人がうらやむ企画も。そんな楽しい音楽の体験をした子どもたちの反応はいかにも、百戦錬磨の紳士淑女たちの様子までわかってしまうとは。
三ツ橋さんいわく、奏者のボルテージが上がっていくのを感じ取り、それに比例するように後ろの観客の様子も感じている、という。
「やっぱり、同じ空間、同じ時間を共に過ごしていることが大きいんじゃないかと。クラシックやオーケストラの演奏会だけじゃなくて、アーティストのライブとかスポーツの試合もそうだと思うんですけど、その場にいる醍醐味ってあるじゃないですか。オーケストラの演奏会もそのひとつですよね」
筆が舞うように、空間に軌跡がつく。最後の「終止線」に向かって大きく指揮棒が揺れ、動きが止む。
誰も動かない。誰も音を発しない。広いホールに響き渡る音の余韻を楽しむかのように、数秒間すべてが止まる。
終止線を越えたとき、そこには「無」の時間があるという。
……静かに筆が離れる。そうして、笑顔の三ツ橋さんがやっとこちらに振り返る。三ツ橋さんはからだと表情を駆使して、この場にいるすべての人たちに感謝を伝える。指揮者とオーケストラによる壮大な旅路が終わった瞬間を、みなで喜び、称え合う。
指揮者の背中に目があるわけでは決してない。けれど演奏中も確かに、三ツ橋さんには観客のことが「見えて」いた。この場に集った観客もまた、指揮者が生きる3つの時間軸を共有していた。余韻の「無」までをじっくりを味わったあとは、われわれ観客がそれに応える番だ。
過去と現在、未来の旅路。彼女たちが音楽と向き合ってきた、とてつもない時間にも思いを馳せる。100年前の音楽家からのメッセージをつなぎ、いまに生きるわたしたちに魅せてくれる。
船を出してタイムトラベルの旅に連れて行ってくれる三ツ橋さんをイメージした。、喝采の中で、そんな不思議な想像をしながら、これまでの彼女とオーケストラのメンバーに向かって力いっぱい拍手を送った。
【プロフィール】
三ツ橋敬子(みつはし けいこ)
東京藝術大学及び同大学院を修了後、ウィーン国立音楽大学とキジアーナ音楽院に留学。小澤征爾、小林研一郎、G.ジェルメッティ、E.アッツェル、H=M.シュナイト、湯浅勇治、松尾葉子、高階正光の各氏に師事。第10回アントニオ・ペドロッティ国際指揮者コンクールにて日本人として初めて優勝。第9回アルトゥーロ・トスカ二ー二国際指揮者コンクールにて女性初の受賞者として準優勝。併せて聴衆賞も獲得。国内外から注目を集める若手指揮者。
【公演情報】
◼︎公演名
ファンタスティック・ガラコンサート2024
◼︎日時
2024年12月29日(日) 15:00開演(14:15開場)
◼︎場所
神奈川県民ホール 大ホール
◼︎主催・助成
主催:神奈川県民ホール[指定管理者:公益財団法人神奈川芸術文化財団]
助成:文化庁文化芸術振興費補助金(劇場・音楽堂等機能強化推進事業)|独立行政法人日本芸術文化振興会
◼︎公演URL
https://www.kanagawa-kenminhall.com/d/gala2024