「第3の目」が見つめる旅の記憶
「コルカタの空港に着くと、タクシーの客引きにいきなり腕や足を引っ張られたり、象が町中を闊歩している姿に唖然としたり。聖地バラナシでは、ガンジス川を流れてくる遺体を見て衝撃を受けました。はじめて見る一つひとつの風景に、ただ圧倒されっぱなしだったんです」
石川さんの原体験とも言える冒険。25年前のインド・ネパールへの旅について尋ねると、まるで昨日のことのように、そこで出会った風景について話を聞かせてくれた。当時、彼はまだ東京で生まれ育った一介の高校生に過ぎませんでした。
幼いころから『トム・ソーヤーの冒険』や『ロビンソンクルーソー』といった冒険小説を読み耽り、旅への憧れを募らせていった石川さん。高校生になると家と学校を往復するだけの日常に嫌気がさし、日雇いバイトで貯めたお金を握りしめてインド・ネパールへと旅立った。日本から6000km離れたインドのむせ返るほど濃密な空気の中、17歳の青年は、日本では見落としていた「当たり前のこと」に気づいたという。
「自分って、この世界に存在するたくさんの人の中のひとりにすぎないんですよね。はじめての旅で、僕は世界の広さと多様さを実感した。そして『もっと世界を知りたい』と強く思ったんです」
大学に進学した後も、冒険家・植村直己にとって最後の場所となったアラスカ・デナリを登頂したり、北極から南極までを人力で縦断したりと石川さんの勢いはとまらなかった。またその後も、ミクロネシアの伝統的なカヌーで太平洋に飛び出したり、ヒグマと隣り合わせで知床を歩いたり、ときには日本中の奇祭を訪ね歩いたりと、25年以上にわたり「旅」を中心とする暮らしを送ってきた。「もっと世界を知りたい」はじめに覚えた衝動が、彼をさまざまな場所へといざなっていったのでした。
そんな石川さんの相棒として欠かせないのが、写真というメディア。彼は旅人として世界各地を訪ね歩くばかりでなく、写真家としてそこで見た風景をカメラに収めている。
デジタル全盛の時代の今でも、石川さんがこだわり続けているのは中判フィルムカメラ。毎年のように足を運んでいるヒマラヤでは、“デスゾーン”と呼ばれる標高8,000m以上の領域で極限状態と戦いながらも、重さ数キロにもなる撮影機材を詰め込み、シャッターを切り続ける。その写真は、北極圏を描いた『POLAR』(リトルモア)や、エベレスト遠征の記録をまとめた『EVEREST』(CCCメディアハウス)といった写真集にまとめられている。
どうしてそこまでして? 石川さんにとって写真は、単なる記録媒体ではなく、さらには「本質的には人に見せるために撮っているつもりもまったくない」と言います。
「どんなに衝撃的な経験であっても、そのディティールは時間とともに薄れていきますよね。それを忘れないように記録していくのが、僕が写真を撮るひとつの理由です。
それに写真って、思っているよりも情報量がはるかに多いんですよ。だから、旅から帰って写真を見直すことで、『こんなものがあったのか!』といつも新たな発見があります。そうすると自分が経験したはずの旅から、別のかたちの風景が浮かび上がってくるんです。写真によって、自分の旅が更新されていくような気持ちになりますね。
そういえば一度ベトナムへの旅に、カメラを忘れて行ってしまったんです。普段は驚くような景色に出会えば常にシャッターを切っていますが、カメラがなければその驚きを写真に収められない。写真が撮れないのにそんな景色にに出会ってしまったら悔しいなあ、と思ってしまい、なるべく周囲を注意深く見ないようにしました(笑)。妙な話ですよね」
石川さんにとって写真は、「第三の目」とでも言うべき彼の身体の一部なのかもしれない。北極の氷の上で、ヒマラヤの頂上で、アラスカの原野で、世界各地でさまざまなものを撮影し続けてきた石川さん。そのレンズは、どのような被写体に向けられてきたのだろうか。
「人にも、物にも、光の陰影にも、あらゆるものに反応してシャッターを切っていますが、その中でもとくに『未知』のものに反応します。驚きの気持ちがこみ上げると同時に自然とシャッターを切っているんです」
怖いのは、新しいものに出会っているから
「もっと世界を知りたい」高校生のころに抱いた衝動は、45歳になる現在にいたるまで旅の原動力となっている。だから石川さんにとっては、危険を伴う「冒険」のような旅ばかりでなく、西表島や宮古島(沖縄)、悪石島(鹿児島県)などに受け継がれる来訪神を迎える祝祭を訪ねたり、アボリジニの洞窟壁画を見に行ったり、あらゆる場所や体験が旅のフィールド。その中で出会う「未知」が、いつも自分の世界を広げてくれると語る。
「未知と出会い衝撃を受けると全身が反応し、『もっと知りたい!』という気持ちがこみ上げてくるんです。普段、東京で生活をしているときには、わからないことに出会っても、スマホで簡単に調べて知ってるつもりになってしまいますよね。事前の情報収集は必要ですが、いざ旅に出ると生半可な知識は通用しないことがほとんど。
それよりも未知と出会って、知覚する。そうすることで身体で、実感として『世界』を咀嚼していきたいな、と」
いつも旅を続けながら、人生観をひっくり返されるような「未知」を探し求めてきた石川さん。彼のような生き方に、誰しも一度は憧れを持ったことがあるのではないだろうか。けれど命の危険や見知らぬものへの恐怖心を、誰もが乗り越えられるわけではない。だから多くの人は、冒険や旅の魅力に後ろ髪ひかれながらも「自分には関係のないこと」として、いつしか忘れさってゆくのかもしれない。
石川さん自身も実際に、これまでの旅の中で幾度となく死に瀕するような経験をしてきた。しかし、そんな危険と直面してもなお、未知と出会う怖さは、決してネガティブなものではないと振り返る。
「だって、怖さや不安を感じるのは、新しいものに出会っているから。まだ見たことがない世界に触れようとしている証拠です。それは、決してネガティブなものではないんですよ。
怖さや不安と付き合いながら未知に足を踏み入れると、必ず想定外のものが飛び込んできます。それをシャットアウトするのではなく、どうにか受け止めようとすること。そして『これはいったい何なんだろう?』とつぶさに見る。見て、見て、見続ける。外からやってくるわけのわからないものを受け入れることで、新しい視点が生み出されていくんです」
かつて石川さんは、そのエッセイにおいて、エベレストのような極限の環境を旅する秘訣として「抵抗し、拒絶し、防御するのではなく、受け入れ、溶け込み、包み込んでいく」ことこそが最大の武器であると書いていた。冒険や旅にとって、好奇心とともに欠かすことができないのが、そんなすべてを受け入れる力なのかもしれない。
生まれ育った東京で「旅」を再発見する
しかし、そんな石川さんでも、新型コロナウイルスという非常事態を受け入れるのは、簡単なことではなかったのだという。
多くの人々と同様、コロナ禍によって、海外への旅に出ることができなくなった石川さん。10代のころから旅を日常としてきた彼にとって、「ステイホーム」の日々は身動きの取れない息苦しさを募らせたはず。いったいどれだけストレスをためていたのだろうか……と思いきや、石川さんからの返答は意外なものでした。
「最初はやはり悶々としていましたよ。でも東京にいたとしても、いくらでも未知のものに出会うことはできます。この2年間、海外に行くことができなかった代わりに、生活圏内でさまざまな未知に出会っていました」
そのひとつが、自分の部屋の中で出会う「未知」。石川さんは非常事態の中で淡々と、レオナルド・ダ・ヴィンチも研究したと言われるカメラ・オブスクラ(暗い部屋で、小さな穴を通して壁に外の景色を映し出す投影法)を自宅に再現していた。また、ある「野生動物」に出会ったことをきっかけに、自身の生まれた街である渋谷を撮影することにのめり込んでいった、と言います。
「自分が生まれ育った東京では、もう未知のものには出会いにくいんじゃないか、と思っていたんです。でも深夜に渋谷を歩いていたら、道の上をネズミが闊歩していた。その姿を見ていたら、まるで異世界に来てしまったような感覚を覚え、鳥肌が立ったんです。数多くの人々が行き交う渋谷駅やセンター街なんかでも、目を凝らして歩くと日々新しいものに出会える。やっぱり知ったつもりになってはいけないんですよね。
歴史を遡れば、博物学者の南方熊楠は顕微鏡で粘菌を覗き込みながら、ファーブルは昆虫を調べながら、それぞれ『世界』と出会っていた。生まれ育った渋谷の街を歩くだけでも、部屋の中にカメラ・オブスクラをつくるだけでも、視点の持ち方によって未知の景色に出会うことはできます。だって、そもそも僕も最初は、彼らのような先人たちの本を通じて『世界という未知』を体験していたんです」
コロナ禍での「旅」の再発見の話を聞いて、そういえば、かつて石川さんが10代の読者向けに書いた本のタイトルが、『いま生きているという冒険』 (よりみちパン!セ) だったことを思い出す。石川さんにとって「冒険」とは、ヒマラヤや南極、危険な思いをしながら外の世界に飛び出すことと同義ではない。遠く離れた場所に行かなくても、生きていることそれ自体を旅として味わい、「未知」に出会うことができるのだ。
それでも、山に登る理由
2022年3月、東京での「旅」にもひと区切りをつけ、石川さんは海外遠征を再開した。5月には、ヒマラヤ連峰にある世界第3位の山「カンチェンジュンガ」に登頂。7月からはパキスタンに遠征し、世界一登頂が難しいと言われている山・K2への登頂を目指すのだという。
「東京でも未知との出会いを続けてきましたが、やはりこれまで毎年のように足を運んでいたヒマラヤは特別な場所。2年間ずっと国内にいると、どうしようもなく『ヒマラヤに行きたい!』という気持ちが湧き上がってくるんです。ヒマラヤに行くと毎回、圧倒的な風景を前にして、声が出なくなるほどの感動を与えられますね」
しかしそこは標高8,000mを超え、気を抜けば命さえも危険な場所。例えナビゲートしてくれるシェルパがいたとしても、ハプニングや事故とは常に隣り合わせになる。
「5月に登った『カンチェンジュンガ』は世界第3位の山で、もちろん山頂までの道のりも険しい。今回は山頂を間違えてしまって、近くのちょっと低いピークに立ってしまい、一回失敗しています。『ようやく頂上だ!』と思ってふと横を見たら、少し先に本当の山頂が見えたんです。止むを得ず一度下山して、再び登りました。同じ山の8000メートル以上のところに二回も行くことになり、精神的にも肉体的にもかなり削られましたね(笑)」
生きていることを旅として味わえる石川さんにとって、山をのぼることは未知と出会うために必要不可欠なことではない。ではなぜ、石川さんはそんな辛い経験もしながらヒマラヤを目指すのだろうか。
「山は何千年、何万年とその姿を変えないけど、同じ山に何度登っても、そのたびに違うものが見えるし、新しい発見がある。さらに言えば、『未知』に出会うことで世界は広がって、自分の世界が広がっていくほど自分が出会える『未知』は増えて行く。そんなふうに自分の目に写る山は変化していきます。これがぼくにとって山に登り続ける理由の一つでもあります」
石川さんが「ヒマラヤに登るたびに驚かされる」というのが、「サミットプッシュ」と呼ばれる頂上にアタックする日の景色。夜中にヘッドランプの明かりだけを頼りに歩き出した登山家が、山頂にたどり着く直前に見る朝焼けだ。
「暗闇の中を6〜7時間歩いていると、日の出の時間を前に、だんだんと世界が明るくなっていく。すでにへとへとに疲れて、意識は朦朧とするばかり。そして、後ろを振り返ると仄暗い世界に山の稜線が浮かび上がってきます。何度見ても『こんな世界が広がっていたんだ』と圧倒され、立ち尽くしてしまうんです」
この目で見るまですべては等しく未知
ヒマラヤでも、インドでも、そして生まれ育った東京でも、旅を続けてきた石川さん。話を聞きながら、もしかしたら石川さんは、いまこの瞬間も旅の途中にあるのかもしれない、と思い至り、普段の暮らしぶりについても訪ねてみる。
「たとえばごはんを食べに行くときにも、常にあたらしいお店を開拓したりするんですか?」「はは、そうですね。いつも行くようなお店はないし、メニュー見て奇妙なものがあったら絶対それを頼んじゃいます」しばらくそんな談笑を続けていると、すこし間をおいて石川さんが「…まあ、時代に合わないですよね」と呟いた。
「だって、ここにいても未知に出会えることは本当で、ヒマラヤだってGoogleで調べればある程度の景色は見られる。別にたいへんな思いをしなくても、世界について見聞きできる時代ですからね」
インターネットに接続すれば、危険に晒されるリスクもなく、世界中のあらゆる情報が一瞬で手に入ってしまう時代。たしかに石川さんのような旅人は、かつてに比べて少なくなっているのかもしれない。
「でも、旅を通じて未知に出会うのは、僕の人生にとってかけがえのないこと。身体を通じて世界に触れることで、未知の領域はどんどん広がっていくんです。
たぶん、歳をとって山に登れなくなったとしても、僕はずっと旅を続けていくんだと思います。たとえ近所の公園にいく道すがらにだって、未知のものが転がっている。本気でそう思っていますよ」
かつて、17歳の青年がインドで気づいた世界の広さ。25年以上にわたって旅を重ね、未知との出会いを積み重ねていった「世界」は、当時よりも何倍もの広さと奥深さを持った空間へと変わっていた。
数年後、石川さんは何に向けてシャッターを切っているのだろう——今後について聞けば、いつかは宇宙飛行士になることも視野に入れているという。本の中を旅していた少年は、外の世界への旅と見知った街の旅を経た今、さらに遠くを見つめている——それは宇宙から見た景色かもしれないし、路上の花かもしれない。
ただひとつ、たしかなことは、自分の目で見るまでは何も知らないつもりで「未知」に向き合い続ける限り、石川さんにとってはそのどちらもが、これまで続けてきたものと等しく「旅」と呼べるのだろう。
【プロフィール】
石川直樹(いしかわなおき)
1977年東京都渋谷区生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。極地から都市部まで、10代のころから世界中のあらゆる場所をカメラとともに旅をしながら作品を発表し続けている。人類学や民俗学にも関心を持ち、作品のテーマも幅広い領域に及ぶ。2008年『NEW DIMENSION』(赤々舎)、『POLAR』(リトルモア)により日本写真協会賞新人賞、講談社出版文化賞。2011年『CORONA』(青土社)により土門拳賞。2020年『EVEREST』(CCCメディアハウス)、『まれびと』(小学館)により日本写真協会賞作家賞を受賞した。著書に、開高健ノンフィクション賞を受賞した『最後の冒険家』(集英社)、『地上に星座をつくる』(新潮社)ほか。
Instagram:@straightree8848