女は落語家として見られない

薄桃色の上品な色合いに、白い蛍ぼかしと呼ばれる文様の着物。美容院に行かずに自分でカットしているというトレードマークのマッシュルームヘアも、その個性的な魅力を一段と引き立たせる。「すてきなお召し物ですね」集合場所の代々木公園に現れた二葉さんの立ち姿に目を奪われていると、そこには落語家らしい大胆なエピソードが隠されていた。

「実は、去年、NHK新人落語大賞を取る前に、賞金の50万円を着物に使い込んだんですよ。そのうちの一着がこの着物。かわいいでしょ。賞金を取れなかったら……。あはは、どうなってたんやろね」

NHK新人落語大賞は若手落語家の登竜門として知られ、多くの落語家がこの賞を目指している。2021年、二葉さんは107名が参加したこの賞の頂点に、女性としてはじめて輝いた。しかも桂文珍、柳家権太楼など、目が肥えた審査員全員が文句なしで満点をつける、圧倒的な高座だった。

事件が起こったのはこの受賞直後。桂二葉の名前が呼ばれ、落語界に新たな時代がやってきたことを寿ぐムードに包まれた会場で、受賞のあいさつとして二葉さんはこう言い放った。

ジジイども、見たか——」。

「ほんまは、記者さんに向けたウケ狙いとして言ったんですけどねぇ(笑)。でも女性が少ない世界で、男のものである古典落語をやってくのって、ほんっっっまたいへんなんです。私の所属する米朝事務所では『動楽亭』という小屋(落語の会場)を持ってるんですが、そこは、2年前まで女性が高座に上がることすら禁じられていました。自分の事務所なのにですよ!」

江戸時代からの伝統が続く落語界は、いまだ男性中心主義が色濃く残る世界。二葉さんの歴史は「落語家」ではなく「女」として見られることに対する戦いの歴史だったという。

「出番と出番の間に座布団をひっくり返す『高座返し』は前座の仕事なんですが、ある方から『女は座布団ひっくり返す仕事しかできひんやろ』って言われ、高座返しをやらされていました。しかも『女やから前掛けつけろ』って。」

「そんなんばっかりやから、こっちは根性の決まり方ちゃいますよ」そう言ってケタケタと笑う二葉さん。でも、普通の人間なら、気持ちが折れてしまうような偏見にさらされながら、なぜ、二葉さんは落語を続けて来れたのか? その秘密を探るために、二葉さんの落語との出会いについて聞いてみた。

「アホ」に憧れる引っ込み思案な女の子

高座ではもちろん取材の間もずっと、持ち前の甲高い声で冗談を飛ばしていた二葉さん。だからその幼少時代も、当たり前に明るく活発なものだと思っていた。けれども、意外にも子どものころの二葉さんは、教室の片隅で大人しく過ごす引っ込み思案な少女だったそうだ。

「口数も少なかったし、授業中に手を挙げたり注目を集めたりするようなこともなかったんですよね。『まわりからふつうじゃないと思われたらどうしよ』って、周囲の目を気にしながら生きてきた。だから、クラスに必ずいる、いちびり(お調子者)の男子に憧れてましたね。何も気にせずアホなことができるって、なんてうらやましいんだろうって」

教室の片隅からお調子者の男子に羨望(せんぼう)のまなざしを送る少女には、落語界の因習を変える片鱗はかけらもない。その性格が変わるきっかけとなったのは大学進学後、笑福亭鶴瓶の熱狂的なファンだった彼女が(「結婚するなら、鶴瓶さんみたいないい人がええな〜って思ってたんですよ。いや、これマジで!」)、鶴瓶がやっている「落語」というものをはじめて観に行ったときのことだった。

「鶴瓶さんを見に寄席に足を運んだら、すっかり落語に魅了されてしまったんですよ。『ここやったら、アホなことできるやん!』って。それで、すぐに『落語家になろっ』って決めたんです」

それまでひそかに胸に抱いてきた願望を叶えることができる場所を、ようやく見つけられた瞬間だった。

けれども、そこで戸惑ったのが身近な人たち。無口な少女が落語家になると聞いて、両親も友達も「何言ってんのあんた?」と戸惑うばかり。けれども、こうと決めたら曲がらない。二葉さんは大学卒業後、周囲の心配をよそに、桂米二一門に飛び込み落語の修業に明け暮れる。すると、その口からは言葉があふれ出てくるようになった。

「いやあ、人が変わるってこういうことなんや、って思いましたね。落語をやっていたら、普段からべらべらと喋るようになったんですよ。落語に人格まで変えられてしまったんですね。

けど、今から振り返ると子どものころからずっと喋りたかったんやと思います。気にしいで、周りの目線に敏感だったからこそうまく言葉が出てこなかっただけで、私の中には言葉があふれていたんです」

女性の落語家は「痛々しい」

時間は少し戻って米二師匠に入門する前のこと。落語家になると決めた二葉さんは、「関西の落語家の高座は全部見てやろう」と寄席に通い詰めた。そうして師匠の桂米二をはじめとする数々の落語家に魅了された。けれども、二葉さんの視線は、女性の落語家に対して厳しかった。

「女性の落語家さんが出てきたら、『ああ、女やな……』って思っていました。笑えへんかったんですよね。それで、何でこんなに笑われへんのやろ?って考えるようになりました。

女性の落語家さんの高座をよく見てみると、落語をやってるときに、不自然やなって感じたんです。落語って、老若男女いろんな登場人物のセリフがありますよね。女性の落語家が男を演じると、その登場人物が『こんにちは!』っていうだけで、どこか無理してるように見えた。ほんなら、女の登場人物はだいじょうぶと思うじゃないですか。ところが女性が女を演じても、妙にわざとらしくなってしまうんです。

もともと男性が演じるためにつくられたもんやから、難しいんですけどね……。きっとその落語家さんの中に『〇〇らしくならないといけない』という気持ちがあったんでしょう。それが不自然で、痛々しくて、笑えなかったんです」

1975年、今や東西落語会最年長の女性落語家となった「露の都(つゆのみやこ)」が、女性として初めて落語界の門をたたいて以降、女性落語家は年々増えており、現在は東西合わせて50名以上の女性が落語の道を歩んでいる。けれども、男によってつくられ、磨き上げられてきた古典落語の芸を、女性が体得するのは至難の業だった。

じゃあ、どうして二葉さんは「女に落語は無理」と思わずに、「自分ならできる」と思えたのか? 「根拠のない自信やったけどね」と前置きしながら、当時の考えをこう振り返る。

「私の育ちがけっこう影響してたんやないかなって思います。うちの母親は、小さいころから男も女も平等っていう考えで育ててくれた。今でも覚えているんですが、いっぺん弟が泣いたとき、私が『男のくせに泣くなや』って言ったんです。そうしたら母親は『男でも女でも泣くやろ?』って真剣に怒ってくれた。なんか、すごく恥ずかしくなったのを覚えてます。

そういうベースがあったからやろね。『男も女も関係ない。私ならできる』って思いこめたのは」

「演じる」のではなく自分に「寄せる」

「そもそも、私が惹かれるのは、『噺の世界』が見えてくる落語なんです。そのためには、男か女かという性別を描くのではなく、登場人物の本質を描くことが必要になる。自分が役になりきって不自然になったら、『落語の世界』が見えてきません。役を演じるのではなく、役を自分に寄せて話したほうが、自然にすっと世界が入ってくるんですよ」

たしかに二葉さんの落語を観ていると、登場人物を演じているのではなく、登場人物を引き連れている、とでも形容したくなるような軽妙さがある。物語の本質を捕まえて、噺の魅力的な部分を語り部としてぎゅっと表現する。だから、甲高い声の二葉さんが少し声のトーンを落とすだけで、自然と太い声を持つ男が目の前に浮かび上がってくる。

また、そんな「落語の世界」を見せるために二葉さんが駆使している芸が、たとえば「目線」。

「簡単な例ですけど、『こんにちは』とひとこと言うだけでも、普通に言うのと身を乗り出して遠くを見ながら言うのでは、見えてくる空間の広さが違いますよね。目線の使い方ひとつで、お客さんに見せられる世界は全然変わってくるんですよね」

そうしてつくり出される世界に、ユニークな登場人物たちの織りなす噺に、お客さんは酔いしれる。二葉さんにとって、落語は演じるものではなく、まるで船頭のように「導くもの」なのかもしれない。

「日常のひとコマが自分の落語に活きてくることもよくあります。わかりやすいものだと、落語ではおなじみの『酔っ払い』。たとえば飲み屋でベロベロになって寝ているおっちゃんやその頭をはたいてる姉さん。そしてその姉さんを帰りの電車で寝すごさないように何度も叩き起こす、これまた酔っぱらった自分(笑)。

そんな『アホやな〜』ってことを思い出して自分に引き寄せていくと、もっともっと自然でおもろい酔っ払いを見せられるんです。でも、まだまだ『旦那』とかやるにはぜんぜん貫禄もたりひんし、演じるしかないこともあるんですけどね」

実際の高座でも、そんな小噺で客席をわかしている二葉さん。常日頃の出来事や友人との何気ない会話まで、つぶさに覚えるようにしているという。もちろんそれはマクラのためというだけではなく、日々そうやって「自分に引き寄せることのできる具体的なモデル」を観察し、蓄積していってるのだろう。

落ちこぼれだった修業時代

けれども「見ての極楽、住んでの地獄」の言葉の通り、外から見て積み上げた理屈と実践では大きく異なる。鼻息荒く米朝一門に入門した二葉さんだったが、「私ならできる!」という根拠のない自信はすぐに打ち砕かれたという。

「15分の前座ネタを覚えるのに、6ヶ月かかったんですよ。年季(上方落語の修業期間)の間は『三遍稽古』っていって、師匠がやるネタを見て3回で覚えなくちゃならないんですが、もう録音させて〜! って。『落語は男のものやからやめとき』『覚悟決まってますから』って頭下げて入門したのに、とっととネタくらい覚えろっちゅう話ですが(苦笑)。

ただ噺を覚えるだけじゃなくて、上下(かみしも、左右に振り分けて別の登場人物を演じること)きって、扇子や手ぬぐいを使って型をやるって、やろうと思ってもなかなかできひんくて……。師匠の米二は、とても厳しい人なので、あまりの出来の悪さにしょっちゅう怒られて泣いてました。

でも、さすがに師匠も鬼じゃないから泣いたら稽古が終わるんです。そしたら『よっしゃ、早めに泣けば稽古終わるやん』って、だんだん嘘泣きを使うようになりまして……。もちろん、嘘泣きなんてすぐに見抜かれますよね。最終的には、師匠が『泣いてもやめへんぞ』って(笑)」

ようやくスタートラインに立てた

入門当初こそ落ちこぼれの弟子だったが、それでも必死で食らいついた二葉さん。年季が明けてからは着実に力をつけ、ついには数々の賞レースを受賞するなど目覚ましい活躍を遂げた。ただ、師匠の稽古以上に、女性が落語を演じることはきびしい道のりだった。

「女の落語家って、いろんな人からよく『古典じゃなくて新作をやったほうがいいんちゃう?』って言われるんです。でも、私は古い大阪弁が大好きで、その言葉が生み出す世界に落語の醍醐味を感じている。だから、ずっと古典を中心にやってるんです。もちろん男のものだった古典落語を女性がやるのってすごく難しい。でもその難しさにぶち当たると『やったろやないかい!!』って逆に燃えるんです」

実際、二葉さんは2021年のNHK新人落語大賞でも古典落語のひとつである「天狗刺し」を披露した。そして「女に古典落語は難しい」という世の中のステレオタイプを打ち壊し、見事満場一致の大賞を勝ち取ったのである。

逆境を物ともせずに「やったろやないかい」と励み、まわりの目線をも変えていく。パワフルな二葉さんの話を聞いていると、聞いているこちらも元気が湧いてくる。けれども、二葉さんが女性の落語家をめぐる問題について、ここまで踏み込んで話すことができるようになったのは、つい最近のことなのだとか。

「ちゃんと実績がないと、何を言っても説得力がありませんよね。私、『女流落語家』っていう言葉が嫌いなんですが、それを言えるようになったのも賞を獲って、世間の見る目が変わったから。いま、ようやく思っていたことを言えるようになりましたね。やっっっと、スタート地点に立てたんですよ!」

もちろん、まだまだ「女性落語家」という偏見は消えたわけではない。歌舞伎やお能の公演も行われる格式高い劇場である京都・南座で昨夏に行われた落語会は、通常の寄席とは異なり、上品な観客が数多く訪れていた。

「高座に上がったときって、まず客席の雰囲気を見るんですよ。それで、どういう感じで話したらウケるかなって考える。南座のときは、すごく変な雰囲気で、こっちを女と見るや、着物着たおばはんたちが『絶対に笑わへん』みたいなかまえた感じの空気を出しよったんです(笑)。

いやぁ、燃えましたねぇ。噺に全力を注ぐのはもちろんですけど、変顔しても奇声をあげても、どんな手を使っても絶っっ対笑かしたろ! って。必死になって落語やっていくと、始めはツンとしてたおばはんたちもだんだんほぐれてきて、最終的にはみんないっしょになって笑ってくれました」

見る目が変わればもっと笑える

新人落語大賞を受賞し、全国に名前を売った二葉さんは、これまでの関西での活動のみならず、東京での仕事も増え、慌ただしく新幹線に飛び乗る日々を過ごしている。けれども、二葉さんの目の前にある戦いはまだ終わっていない。

「まだまだ女性の落語家は少ないですよね。上方でも20人くらいちゃうかな。少なくとも全落語家の3割くらいにはなってほしい。女性が高座に上がることがもっと普通になったら、お客さんの見る目も変わる。そうしたら、もっと笑ってくれるようになるはずなんですよ。そのためにも、まだまだ戦うことはありますね」

いまだに男女の垣根は高いし、女性を認めない“ベテラン”たちも多くいる。二葉さんはそんな戦いに備えて「キックボクシング習っとこうかな」と冗談を飛ばしながら、またケタケタと笑う。いろいろな苦労はありながらも、それを乗り越えるのを楽しんでいるから苦しくないという。

「だって私、落語が好きで、落語家の世界も大好きなんですよ。大好きな世界だからこそ、私がちゃんと言うこと言って変えておかな、後の人らにも悪いですからね」

写真:倉科直弘

「変に見られたらどうしよ……」とまわりの目を気にして口をつむいでしまっていた少女は、もうどこにもいない。いま目の前の高座に座るのは、大勢の観客を前にあのころ憧れていた「アホなこと」を思いっきりぶちまけ笑いをかっさらう、落語に人生を変えられた噺家だ。

彼女の噺に「女」や「男」といった区別は存在せず、私たち観客と二葉さんの間にはいつも、“ユニークな登場人物”たちがいる。そして、そこに浮かび上がるのは、彼らが織りなす痛快な物語だ。桂二葉という落語家が見せる「噺の世界」だ。自分を笑う“まわりの目”があるならば、別の世界に目を奪わせて、その目線を変えてしまえばいい。今日も二葉さんは、あのケタケタと耳にのこる笑い声を響かせながら、愛してやまない落語を化かす。

【プロフィール】
桂二葉(かつら・によう)
1986年大阪府生まれ。米朝事務所所属、上方落語家。愛してやまない笑福亭鶴瓶の影響で落語の世界にどっぷりハマり、2011年に桂米二に入門。2021年に第7回上方落語若手噺家グランプリ 準優勝、令和3年度NHK新人落語大賞で女性初となる優勝を飾り、「女性が古典落語を演じることは難しい」と言われてきた落語界の定説を覆した。約300年も続く古典芸能である落語の世界に変革をもたらすべく、東京と大阪をまたにかけ日々奮闘を続ける。

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