超一流を前に、緊張のプレゼンスタート

芸術系大学の最高峰ともいわれる、東京藝術大学。約束の15分前に正門に集合し、「藝大って独特の雰囲気ですよね」「なんだか緊張しますねえ」と言いあいながら、指定された「赤レンガ1号館」にみんなで向かいます。

模型が入った大きな箱を抱えて階段を上る建築家の髙濱さん。この建物、なんと築140年超だそう!

案内されたのは、急な階段をのぼった先にある会議室。髙濱さんはじめプロジェクトメンバーは、さっそくプレゼンの準備にとりかかります。紙の資料から、模型まで。みんな神妙な面持ちです。

というのも、長谷川祐子さんは世界中でビエンナーレや美術展を手がけ、現在は金沢21世紀美術館の館長を務めておられます。しかも、アートを置く「場」である建築にも精通。著名な建築家とのプロジェクトにも数多く携わっていらっしゃいます。

そんなトップランナーにプレゼンして、お力添えいただけるかどうかを問う。緊張しないはずがありません! しかも……。

「長谷川さん、日本一きびしいキュレーターでもありますから。大御所建築家にもバンバン意見を言う方ですよ」

田中さんが冗談まじりにそんなことを言うものだから、より緊張が高まります。準備を終え、みんなで長机の周りに立っているとドアが開きました。

長谷川祐子(はせがわゆうこ)。キュレーター/美術批評。京都大学法学部卒業。東京藝術大学大学院美術研究科修士課程修了。水戸芸術館学芸員(1993〜99年)、ホイットニー美術館客員キュレーター(1993年)、世田谷美術館学芸員(1993〜99年)、金沢 21 世紀美術館学芸課長及び芸術監督(1999〜2006年)、東京都現代美術館チーフキュレーター(2006〜16年)を経て同館参事を務め(2016~21年)、2021年4月より金沢21世紀美術館館長就任。多摩美術大学芸術学科教授(2006〜16年)を経て、2016年より東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科教授

長谷川「遅くなってすみません。あちらに腰掛ければいいですか?」

硬い空気をすいすいと横切り、白色のジャケットに身を包んだ長谷川さんが奥に進みます。よろしくお願いします、と頭を下げるメンバーたち。名刺交換を終えると、田中さんが口火を切りました。

田中「今日はお時間いただきありがとうございます。はじめに、なぜ引っ越しプロジェクトで長谷川さんにお声がけさせていただいたか、社員の熱い思いを聞いてください」

まずはJINSでアート関連のイベントを企画運営している地域共生事業部のあっきーから、引っ越しの概要をお伝えします。「Magnify Life(人々の人生を拡大し、豊かにする)」というビジョンを掲げながら、社員が実践できていないこと。大企業病に陥っていること。それを克服するためにも、アートが必要だと考えていること。そのアートの扱いについて、長谷川さんのお力を借りたいこと——
 
長谷川「お話はわかりました。来年3月入居、ということはあと6ヶ月しかないんですね。それは大変。では、建築についてのご説明もお願いします」

そこからバトンタッチして、髙濱さんが現在の建築プランについて説明をはじめました。まずは、「建築を解体して、アートとして作る」のコンセプトから。

落ち着いて話していたように見えた髙濱さんですが……ふと言葉を切ると、顔を上げて息をふーっと吐きました。

「ああ、すみません。緊張してしまって」

日本を代表するキュレーターである長谷川さんに、アートに絡めたアイデアを語るのは、想像以上のプレッシャーなのでしょう。それでも長谷川さんの「どうぞリラックスなさってください」の言葉に息を大きく吸うと、気を取り直したように「美術館×オフィス」や「One Tree」のアイデアを中心に、全体プランを熱く語りました。

長谷川さんはメモを取りつつ、「広場」「雨」などそれぞれの要素に対して「おお、すごいなあ」とひとりごちながらも、的確な指摘を入れてくださいます。

そして、今回のプランの核ともいえる5〜8階の吹き抜け階段「オープンアートチューブ」については、いっそう具体的で、はっとする考えを共有してくださいました。

それは、「コンフォート(快適)」な空間ですか?

まずは吹き抜け部分の天井高を確認、「低いんですね」とひと言。

髙濱「はい。ですので、天井も床も躯体現し(くたいあらわし:仕上げ材や二重床を剥ぎ、構造をむきだしにする方法)にするつもりです」

長谷川「なるほど。それで、階段の幅が……1メートル。開口部も大きくないし、これでは上り下りのときにも視界は開けませんね。この吹き抜けに面した手すりのデザインはどうされますか?」

髙濱「鉄のフラットバーを、塗装せずメッキのまま組み合わせてつくります」

長谷川「インダストリアル(工業的)な感じ。うーん、どうでしょう。そのデザインは、階段の上り下りをするとき『うれしい』ですか? (メンバーに向かって)みなさんは好きですか? 鉄柵って」

鉄柵。かっこよく、かつコストをおさえるために選んだフラットバーですが、見ようによってはそう表現できてしまうかも……!? 刑務所のような無機質な場になるのは、チームとしても意図するところではありません。

長谷川「いまのデザインを日本語に翻訳すると、まちがいなく『鉄柵』ですよ。空間の閉塞感もあいまって、わたしはこわいです。階段の素材はなんでしょうか」

髙濱「鉄板です。さび止めを塗ってそのまま……」

長谷川「鉄の階段ってヨーロッパにあるような重厚な建築だとかっこいいんですが、日本のマイルドな近代ビルディングには強烈ですよ。しかも採光は弱く、天井も床もむき出し。それで心、休まりますか?

長谷川「大切なのは、そこで長い時間を過ごす人間がコンフォート(快適)に過ごせることです。それは、自分を囲む素材や空間のバランス、採光でほとんど決まります。ほら、この部屋がなぜ落ち着くかというと、見てください」

それまで、部屋をじっくり見る余裕などなかったメンバーたち。みんなでぐるりと見回すと、外壁と同じくレンガの壁に囲まれています。高い天井には木材でできた梁が渡り、窓の向こうには風に揺れる木々の葉が。

長谷川「壁はレンガで、窓も3面あって、天井も高い。この部屋のように、『ここにいるとスッキリする』という感覚があってこそ人はいいアイデアを思いつくし、新しいことにチャレンジする意欲が湧いてくるんです。これは、我々の体に備わっているベーシックな感覚です。自分を植物や犬や猫だと思って、どんな場所が好きかを考えてみるといいですよ」

田中「おっしゃること、よくわかります。ただ、僕らはあえて違和感のあるオフィスにしたいと考えたんですよね。ベンチャー魂を取り戻すためには、コンフォートじゃなくていいんじゃないかと」

長谷川さんは「もちろん」とうなずきます。

長谷川「みなさんの積極的な意図があるなら、それでいいと思います。ただ、実際にそこで過ごしたり歩いたりしたときにどう見えるか、どう感じるかはよくシミュレーションする必要があると思います」

オフィスらしくしないこと、クリエイティブであること

ほかにも、吹き抜け階段を介して音がほかの階に伝わっていくことなど、建築面のディスカッションはさらに発展。さまざまな気づきを得たところで、話はいよいよアートにも広がります。

長谷川「それで、さっき『美術館の中で働く』とおっしゃっていましたよね。その要素はどこにありますか? この狭いスペースに必要な要素をまとめられたのはすごいと思うのですが、これをいったい、どう美術館にしていかれますか?

この問いに、また空気がぴっと引き締まります。髙濱さんが、吹き抜け階段「オープンアートチューブ」にところどころ壁をつくって絵画を散りばめ、上下移動のときに目に入るようにしたいと説明すると、長谷川さんはちいさく首を振りました。

長谷川「いまのままではトゥーマッチです。この狭いスペースに、むきだしの構造や鉄柵といった要素が詰め込まれている。アートとか、とても目に入らないですよ

ホワイトキューブ(美術館で見られる真っ白な壁や床で構成された展示空間)を例に出しながら、絵には絵を置く場所があるんです、と長谷川さんは説明を続けます。

長谷川「人間は、『あったりなかったり』のリズム——間隔があいて、ぽんっと出てきたものに注目します。『コンフォートでない場で創意は生まれにくい』という話もそうですが、場をつくるとき、そういった基本はとても大事です」

インダストリアルな空間はオフィスらしくないし、思惑どおりの「違和感」がある。けれど、クリエイティブを生むために必要な快適さからは遠く、さらにアートを殺すことにもなる——

想像もしていなかった観点に、「はーっ」と息を漏らすメンバーたち。長谷川さんの言葉ひとつひとつが、みんなのアートと空間への意識をがらりと変えていきます。

髙濱さんも、メモを取る手が止まりません。

ここで田中さんが、ずいと身を乗り出しました。

田中「長谷川さん。どうすれば次のオフィスがおもしろい場になるか、どうアートを取り入れるか、一緒に考えてくださいませんか」

しかし……その言葉に、「快諾」とはいかないご様子。長谷川さんが思い描くアートを取り入れるスペースがほぼ残っていないこと、思い切ったことをするには計画費用が少なすぎるのが主な理由のようです。

きびしい条件であることは承知しつつも、「たとえば長谷川さんだったら、どんなふうに予算を使いますか?」と食い下がる田中さん。それに対して「費用を分散させず、1〜2か所に集中してインパクトを出します」と長谷川さん。

長谷川「あとはやっぱり、階段が気になりますよね。アートを飾るにしても、『見る楽しさ』が必要だと思うんです。ただ空間がぽっかり開いていて、これがアートですってずっと同じ絵が飾られていても、働くひとにとってはどうでもいいことですから。『見たい!』と思うようなものにしないと」

階段そのものを、ひとつのアートに。

なるほど、としばし考え、田中さんが膝を打ちます。

田中「いまのご意見を僕なりに咀嚼したんですが、吹き抜け階段そのものをアートにするのはどうでしょう!? 建築としての階段じゃなくて、アートとして、存在自体を楽しめるものにする。おもしろいものができそうな気がしませんか。もしもですよ、このプランでいくとして、まずなにを変えればいいですかね?」

長谷川「わたしなら、鉄柵をガラスにして、天井を白く塗って、空間の情報量を減らします。床も白にして、光を回すことで調光機能を持たせて。……でも、こんなに好き勝手言っちゃって。スケジュールもタイトですし、みなさんでここまでお考えになって決めたことですし」

田中「いやいや、長谷川さん! 我々はこのプロジェクトを通して、いろいろなプロフェッショナルの方から教わって、勉強して、どんどんアップデートしていきたいんです。スケジュールはなんとかなります。いや、します。ですから、ご提案のとおりどこか1か所のキュレーションと、吹き抜け階段部分の監修をお願いしたいです」

その言葉に「ちょっと、そんな、社長」と長谷川さんが笑います。「みんなも無理なら無理って言わないと」と振ると、髙濱さんは拳をにぎり、長谷川さんの目をまっすぐ見つめて答えました。

髙濱「この時間で、ものすごくインスピレーションが湧きましたし、勉強になりました。これまでも何度もプランをブラッシュアップしてきていますし、わたしはやりたいです!」と力強く答えます。

田中「ほら、髙濱さんはこういう方なんです。ものづくりに妥協はないし、常によりよいものを追求しつづける方なので。ですから長谷川さん、お願いします。金沢にでもこちらにでも、すぐに伺いますから」

長谷川「……はい、わかりました。でもこれから6ヶ月、時間も予算もない中で大変ですよ」

田中さんの押しと粘りの言葉に、ついに長谷川さんもうなずいてくださいました! 刺激を受け、高揚した表情の髙濱さんも「よろしくお願いします!」と頭を下げます。

田中「いやあ、濃密な時間でした。髙濱さん、長谷川さんのアイデアを伺いつつ、この吹き抜け階段についてもう一回考えてみましょう」

髙濱「はい! ああ、スケジュールについて清和(ビジネス)さんと相談しないと……(笑)」

こうして「アート」を軸におおきな方針がほぼ決まった引っ越しプロジェクト。しかしじつは、すでにスケジュールは押し気味で、髙濱さんは清和ビジネスさんからも構造計算を急かされているのだそう。ここから、全員にとって茨の道のスタートです。

長谷川祐子さんという強力すぎる助っ人の力を借りながら、どう着地するのでしょうか。「てんやわんや」の極みですが、よりよい場にするために妥協しないメンバーたちは、まだまだあがきます。

〜次回へつづく〜