アクションスターではなく、武術家としてのブルース・リーに憧れて
幼少の頃から今も変わらず強さへの憧れを持ち続けている。
幼い頃父親の影響により、アクション映画を観ることが好きになり、シルベスター・スタローンやアーノルド・シュワルツェネッガーといった筋骨隆々な肉体こそ、強さの象徴だと思っていたものだ。
僕の中にあった「強さの常識」は、ブルース・リーとの出会いで覆された。
映画『燃えよドラゴン』を初めて観たのは小学生のとき。
細身だけど鋼のように研ぎ澄まされた肉体から繰り出される、パンチやキックはまるで雷のような速さと力強さ、美しさを秘めていて、激しさと静けさが同居するブルースの神秘的な佇まいに圧倒されてしまったのだ。
僕を魅了したのはそんな華々しい「映画スター」の面だけではなかった。
高校生になりブルースの著書を読み漁るようになると、哲学者としての一面に触れることになる。ブルースは古今東西の哲学を学び、精通した思想家としても知られる。彼の精神性や人生哲学もまた、僕のブルースへの探求心に火を点けた。
また、当時アメリカで受けていた人種差別や、再起不能とまで診断された怪我など、多くの苦難と挫折を繰り返しながらも、決してあきらめずに自分の夢を追いかけ続け、成功を得たこと。
そして彼が生涯を捧げて創り上げた武術が「ジークンドー」というスタイルだったことを知った。そうした信念のある生き様に衝撃を受けた僕は、「ひとりの人間」としてのブルース・リーにも惹かれていったのだった。
それから20数年を経て僕、石井東吾は今、ブルースが創始した武術「ジークンドー」のインストラクターとしてその道を歩んでいる。
僕の好きな狂言師・野村萬斎さん曰く、能楽の世界には、「四十、五十はハナタレ小僧」(編注:渋沢栄一氏の言葉。表現は狂言師の野村萬斎氏より)という言葉があるらしい。
「四十歳、五十歳でもまだまだ未熟」という意味のようだが、なるほど、素直に納得できる。僕は今、四十代。まだまだ伸びしろしかないのである。
今回のテーマ「続ける、変わる、続ける。」は、まさに僕が歩む武術修行の道であり、ひいては自分の人生そのものと重なる気がしている。
ジークンドーは、「水のように適合すること」
ジークンドーは柔道やキックボクシング、総合格闘技といったルールを持った競技格闘とは異なり、ルールを持たない素手の武術である。いつ何時起こるかも分からない実戦において最短、最速で相手を無力化させることを目的としているため、非常にシンプルかつダイレクトな技で構成されているところが特徴的だ。
ブルース・リーのアクションシーンに見られる派手な動きはなく、武術としてのジークンドーは、すべての構造や動きが科学的な原理・原則に基づいて構築されていて、物理学的な法則に則っている。
そういった変わらない「核」がある一方で、ブルースはジークンドーを「水のように適合すること」と説いた。水は変幻自在に姿を変えながらあらゆる形に適合することが出来る。静かで柔らかくもあり、激しく強くもなる。水は形を持たないのだ。実際の戦いにおいても、目まぐるしく変化する状況に対し、水のように柔軟に適応していくことが必要になってくる。これは武術に限らず、生き方も同様で、そういった捉え方からもジークンドーはただの護身術でも戦闘方法でもなく、誰もが自分の人生に役立てることが出来るのだと思う。僕自身それこそがこの武術の最大の魅力だと感じ、今もなお魅了され続けているのだ。
武術はアート
武術を学ぶのに重要なことは、まずその動きに含まれる原理・原則を理解することだ。流儀のスタイルには構え、パンチの打ち方、キックの蹴り方などそれぞれ表現方法が異なり、そこには必ず技の原理・原則や理合い(編注:理に適った身体の動き)というものが存在する。
故に何よりも“正しい方法”で教授され学んでいくことが重要であり、ジークンドー独自の構造を習得するためには、何年もかけて繰り返し練習し、修行を積んでいかなければならない。ジークンドーは動きをシンプル(簡素化)にしていく事を基礎としているため、技法を増やしていくのではなく余計なものを削ぎ落としていく、洗練させていく方向を目指さなければならない。
「シンプルであること」=「イージーなこと」ではなく、インスタントには決して習得できないところに、続けていくことへの熱意が試される。
基本のスタイルに従いながら学ばなければ、習得する道を遠回りすることになってしまう。フォームや技に含まれる原理・原則を頭で理解しながら、正しい動きを何年何十年と繰り返し筋肉や神経系統に刷り込むことが重要になってくる。
インストラクターとしてさまざまな生徒たちと接していると、根気強く続けていくことへの課題を感じることがある。もう少し頑張れば壁を越えられるのに——僕自身幾度となくそう思う場面に出くわしてきた。
そのたびに自分の指導方法に向きあい、少しでも生徒が長く続けられるためにはどうすればよいかと、悩み、考える。
それは、自分が大好きなジークンドーの魅力を学ぶ楽しさを知ってもらうためであり、これまでそうして自問自答を繰り返しながら指導に反映させてきた。そしておそらくこれは永遠の課題となるのだろう。
確かに、武術の修行はとても厳しく、パンチやキックを食らえば当然痛みも伴う。試合もない、ゴールもない道のりは、はたから見たら理解に苦しむところもあるだろう。
でも正直なところ、僕自身はずっとジークンドーという武術に魅せられ続けてきたので、続けていくことの難しさを実感したことはあまりない。
僕は子供のころから運動神経が悪く、何をするにも人より劣っていて、何かの成果を上げたこともなくどちらかというと自分自身に劣等感を抱いていた。
しかし自分が憧れていた武術の世界に飛び込み、素晴らしい師に出会えたことでこれまでの人生は一変した。自分に武術の才能があろうがなかろうが関係なく、情熱を注ぎ続けることが出来た。その原動力はとても単純で、純粋に師のように強くなりたいという憧れがひたすらに僕を突き動かしたのだった。
またそうした熱意に加え、自分自身の修行の中でのちょっとした気付きや、些細な成長を感じながら、日々感動していたことが長年の継続に繋がっているのだと感じている。
学ぶ上でもうひとつ大切なことは、素直であること。
「私のお茶が欲しければあなたのコップを空にしなさい」という教えはブルースが説いた学びに対するあるべき姿勢である。何かを学ぶ上で素直さに勝るものはなく、これには年齢も性別も経験も一切関係ない。物事を固定観念や先入観を持たずにありのままに捉え、その解釈を正しく出来るようになることで自然と上達が早くなるのだ。
武術は英語で「Martial Arts」と言う。武術はアートであり、その究極は自己表現であるといえる。僕の生徒の中には、ミュージシャン、俳優、ダンサーやクリエイターも数多く、ジークンドーを学ぶことによって自身のアーティスト活動もレベルアップしているという声をよく耳にする。全く別のジャンルだがリンクすることが多く、違うジャンルだからこそ見える景色が広がっていく。各々の解釈によりジークンドーの修行で得た経験と閃きを自分たちのフィールドで役立てているのだ。ブルースが創り上げた武術と自己実現の哲学は、それを実践しようとする全ての人に今もなお恩恵をもたらし続けているのである。なんだかとても嬉しく思う。
武術の伝承は師匠から弟子へと技術と思想・哲学が永く厳しい修行の中で伝わっていくことだ。それは伝言ゲームのようなもので、テキストが存在するわけでない。
創始者からの教え通り、何代にもわたって伝えていくのは実に大変なことなのである。
後世に残していくためには、世の中への発信の仕方も時代に合わせて柔軟に変容していかなければならない。そう思い始めたのが、YouTube 『ワンインチチャンネル』 だ。
2020年のスタート以来 (2024年1月現在で登録者数は28万人)、YouTubeを利用した活動はジークンドーの認知度を高め、魅力を伝えられる大切なアプローチだと感じている。
動画をきっかけに日本全国から学びたいという声をいただき、オンラインによる指導も始めた。オンラインのメリットは稽古動画を反復して観られることであり、動きや理合いを正確に伝えるのに功を奏している。どうしてもオンラインだけでは伝えきれない部分については、定期的に稽古会を開催することで少しでもデメリットを解消出来るよう提供している。実際オンラインのみで学んでいる生徒を直接指導した際、基本通りの動きを忠実に再現できている姿を目にし、とても感動した。武術の稽古をオンラインで行う。このことに僕自身とても抵抗があり悩んだが、出来る理由を探し挑戦して良かったと今は心からそう思う。
死ぬ直前まで、強くなり続ける
僕はこれまでの修行を当たり前のように、ただただ楽しく、息をするようにここまでやって来た。ジークンドー以外のことは全く続かなく、何も興味を持たない自分が、入門してから気づけば25年。確かに厳しく辛いことも数多くあったが、辞めたいとは1ミクロンも思わなかった。
それは、常に前進し続ける師匠がいたからだ。
僕の師匠であるヒロ渡邉先生(編注:テッド・ウォン先生から受け継いだジークンドーの全伝継承者)が日々進化していく様を、僕は幸運にも誰よりもすぐそばで目の当たりにしてきた。
師匠であるヒロ渡邉先生、その向こうにいるヒロ先生の師匠のテッド・ウォン先生、そしてブルース・リーの背中をがむしゃらに追いかけ続けてきたのだ。
それでもなお、未だに師匠たちに追いつくことは出来ないし、もしかしたら追いつけることはないのかもしれない。武術の修行は永く、どこまでいってもまた高い壁が立ちはだかり、それを越え続けていくだけ。そうしてあきらめず、自分を見つめ地道に続けていくことでしか成長はあり得ないのだ。
実戦での戦いは常に変化し続ける。その状況下で変化に水の如く柔軟に適合し、打ち破ることがジークンドーとしての在り方で、これは自分の人生に置き換えることが出来る。
哲学者ヘラクレイトスの言葉に、こんな言葉がある。
「人は同じ川に二度入ることは出来ない。」
人生は一瞬一瞬変化し続けている。
今という瞬間の連続である。
その中で僕たちは常に選択しながら生きている。
時に不快なことに見舞われガッカリすることも、幸運なことが舞い込みハッピーな気持ちになることもある。それがどんな体験であっても僕たちは経験から学ぶことが出来るのだ。
昨日の失敗も、明日への希望も全て受け止めていきながら、今生きているこの瞬間を大切に、僕は僕らしくあり続けたいと思う。

【プロフィール】
石井東吾(いしい とうご)
1981年生まれ。1999年よりヒロ渡邉師父に師事。2003年に初渡米しブルース・リーの直弟子、テッド・ウォン師父よりプライベートレッスンを受け、以降も師と共に渡米を繰り返し修行。ジークンドーに関する詳細な技術と知識を修得する。書籍『陰と陽 歩み続けるジークンドー』(Gakken)、 DVD『ジークンドー・ファイナルステージ』(BABジャパン)、俳優として映画出演など、指導と並行し多方面のメディアでの活動も行う。