歴史は嘘ばっか!?
——ニシダさんは年間100冊以上は読まれる読書家だとうかがっています。やはり、なにか調べものをしたりするときはネットよりも本に頼ることが多いですか?
ニシダ 調べものに関してはネットのほうが多いですね。本は好きだから読んでるだけで、勉強のために読むとか、調べものをするためにページをめくる感覚はほとんどないかもしれない。とはいえ、ネットの情報のほとんどは信用してないです。
——信じてないのにチェックするのはなぜですか?
芸人として“ご時世”はわかっておいたほうがいいなと。なので、情報そのものは真に受けないです。100%の信じられる情報はないと思うので、どこから信じて、どこから疑うのか、その線引は難しいですけどね。
——情報の真偽を見極めることはできない?
ニシダ できないと思います。だからなにもかもある程度疑ってかかったほうがいいのかなと。たとえばX(Twitter)で、あるポストに対してリプライで「それは違います」と付いてるとするじゃないですか。人って、その「それは違います」を信じやすい傾向があると思うんです。だから僕はそれすらも疑ってかかる。「本当にそうなの?」っていう感覚を常に持つことは大事な気がしてますね。
——100%正しい情報はないという態度からは、アカデミックな印象を受けます。その姿勢が身についたキッカケがあったんでしょうか。
ニシダ 歴史好きだからかもしれないです。中退した大学でも、歴史の授業だけはめちゃくちゃマジメに受けてて。そのとき知ったんですが、歴史ってマジで噓ばっかなんですよ。
——どういうことでしょうか?
ニシダ 競馬が好きなので、授業のレポートでフランス競馬が生まれた歴史を書こうと調べたんです。そしたら、ある論文が「この先行研究は間違っている。なぜなら当時のフランス人の手記にはこう書いてあるから」って説明してて。でも、別の論文を読むと、その手記は「夢日記」だと指摘されてるんですよね。
——昔の人が見た夢を、事実だと勘違いしてしまった。
ニシダ そうなんです。だから、歴史って全然信じられないなと。ドイツ近現代史も受けたんですが、政府、市民、周辺国で言ってることが全然違う。歴史は真実ではなくて、ナラティブ(物語)なんですよね。立場に寄って見え方が変わるし。でも僕はそこが好き。いろんな語りがあるからこそ、おもしろいんです。
嘘に敏感な時代
——ニシダさんはいわゆる“クズキャラ”でよく炎上している印象があります。どうやって炎上と向き合っていますか。
ニシダ そもそも僕はそんなに炎上してないです。あれはネットニュースが作り上げたイメージなので、それこそ疑ってください(笑)。
僕はクズキャラとして人間のハードルが下がりきってるので、何があってもそこまで批判されないんですよ。今の時代ってみんな、噓に敏感じゃないですか。清廉潔白なキャラクターの人が、その期待に背くようなことをすると、「騙された!」って非難したくなる。その点、僕は最初からクズだって知られてるので、そのギャップがない。
——なるほど。「噓に敏感な時代」は言い得て妙です。
ニシダ 「噓じゃないよ」って、噓であっても言ってほしいみたいな。お笑い芸人がM-1の裏側を見せたり話したりするのも人気がありますもんね。噓がイヤっていうよりは、裏側が見たいっていう気持ちが高まってるんですかね。包み隠さないでほしい、というか。
——ニシダさんはさらけ出しているイメージがあります。
ニシダ たしかにそうですね。クズな部分をさらけ出すことでキャラになってるところはありますが、もちろん人前に出る以上、完全な素は見せてないです。そこはわかった上でエンタメとして「ニシダ」を消費してもらえたらとは思います。まぁ自分のクズさをデフォルメして、「ニシダ」というキャラを提示してるのは僕の側なので、こんなこと言うのも本当は図々しいんですけどね……。
——アンビバレントな(相反する)思いがあるんですね。
ニシダ お客さんにとって身近な存在ですよ、どうぞ僕のことをバカにしてくださいってアピールすることで、お金儲けしてる部分はあるので(苦笑)。その分、本当の自分をわかってもらいたいっていう欲望は持たないようにしてます。そもそも出してないんだから。そこまで甘えたらダメでしょうとは思ってます。
人間を安易に分析する人が、タレントのメンタルを削ってる
——ニシダさんはSNSで自分の名前を検索する行為、いわゆるエゴサはしますか?
ニシダ めちゃくちゃします。僕に限らず、人気商売や表現の仕事に携わる人はみんな、エゴサせずにはいられない夜があるんですよ。「エゴサしません」と言ってる人でもみんなやってると僕は思います(笑)。
——エゴサすると心無い言葉も目につきますよね。傷つきませんか。
ニシダ 僕はあんまりダメージは受けてないですね。その点、お笑いって強いんですよ。余計なお世話だなって投稿は「うるせえよ!」というツッコミ一つで笑いになるし、酷いこと言われてもエピソードトークに昇華すればいい。ちゃんとムカつきますけどね。
——傷つかないけど、腹は立つ。
ニシダ はい。本当にいろんなこと言われるんで、勝手なこと言ってんな!と。エゴサしまくってて気づいたのは、非難には3つのパターンがあるってことで。
——3つしかないんですね。
ニシダ そうなんですよ。まず、「つまんねえ!」「消えろ」「テレビ出るな」の「罵詈雑言系」。ストレートなアンチの中傷で、いちばんわかりやすい。次が、ファンが言ってくる「心配系」です。
——ファンが批判するんですか。
ニシダ はい、あるんですよ。「最近調子悪そうですね」とか「このネタ炎上しそうだから気をつけて」とか。一見心配してる風なんだけど、その実、批判してるという(笑)。でも、これもまぁ「うるせぇ!」で済ませられる。「罵詈雑言系」と「心配系」はその日の体調によって、不快度が変わります。罵詈雑言はあしらえるけど、心配がうっとうしくてしょうがない日もあれば、逆もあります。で、一番タチが悪いのが「分析系」です。
——ラランドやニシダさんを分析して批判する。
ニシダ 僕らのことを好きでも嫌いでもないのに、ただ分析したいだけの人がいるんですよ。自称お笑いファンに多いんですけど、知識欲・支配欲だけで好き勝手言ってるだけ。人の気持ちを何もわかってない。
——言い切りますね。
ニシダ ああいう人たちは、昆虫を分類するみたいに芸人を見ているんです。例えば、僕がよく「親子仲が悪い」話をするんですけど、そうすると「ニシダは昔から親に愛されてなかった。だからこういうクズ人間になったんだ」と言ってくるとか。
——安易に過去に理由を見つけて、説明した気になるというか。
ニシダ そうなんですよね。勝手に因果関係を生み出して、何か言った気になる人が一定数いるんです。たしかに僕は親と仲良くないんですけど、僕のクズな部分は別に親のせいではないですから。
人格に踏み込む批評は好きじゃない
——あくまでもネタ動画なのに、パーソナルな部分に土足で突っ込んでくる分析が厄介なんですね。
ニシダ そうやって他者にレッテルを貼る人たちが表に出る人間のメンタルを削ってるんじゃないかと僕は思うんですよね。そうやって分析・分類されるくらいなら、純粋な悪口や悪意を向けられるほうが全然マシです。
——今の時代って批評が不当に嫌われる時代じゃないですか。それって、今ニシダさんの説明してくれた「分析系」が原因なのかもしれないなと思いました。
ニシダ たしかにそれはあるかもしれないですね。学生時代から小説の批評は好きで読んでたんですけど、批評には二種類あるなと思ってて。ひとつは対象を独立した作品として読んでいくもの、もうひとつは、作者のパーソナリティと関連づけるものですね。前者は好きなんですけど……。
——後者は先ほどニシダさんが言ってた、レッテル貼りに繋がりますね。
ニシダ そうなんですよ。太宰治が好きで、太宰作品についての批評も読んでたんですけど、「太宰はこの時期、こういう状態だったから、この作品を書いた」みたいな分析をするケースがけっこう多くて。それを読みながら、もし太宰本人が目にしたらシンプルに良い気はしないだろうなぁって思った(笑)。だから人格にまで踏み込む批評は、少なくともその作家が生きている同時代にはやらないほうがいい気がして。まぁ僕が人格と作品を結びつけすぎた批評が、単純に好きじゃないってだけの話かもしれないですが。
——それなのにニシダさんに向けられる批評っぽい言動は、人格と結びつけたものが多い……。
ニシダ ラランドのネタを分析したりするなら面白いのかもしれないですけど……。でもそれも僕がラランドのネタにあんまり責任を負ってないからですよね、サーヤさんが読んだらめちゃくちゃキレると思います。
プレイヤーになることで、作品の読みが深まる
——このインタビューでは、ニシダさんの意外な一面を知れた気がします。ところで、今年短編小説集を出版されましたね。ついに書く立場にもなられたわけですが、もともと小説を読むのが好きだった人間として、読み方に変化はありましたか?
ニシダ 完全に変わりました。まず、文章のリズムとかに目がいくようになりましたね。たとえば、文末に「〜だった」が続くと単調になってダメっていうじゃないですか。でも、全部「だった」で終わるのに、めっちゃリズムがよくて読みやすい文章ってあるんですよ。そういうのは、自分で書くまで気づかなかった。あと小説を書く上で最も難しいのは、いい文章を書くことじゃなくて、プロット作りなんだなと思いましたね。
——文章力やストーリーを考える能力以上に、どうやって話を展開するか。全体の構成を考えるということですね。
ニシダ はい。文章を書く能力とはぜんぜん違うスキルなんですよね。これも自分で書いてはじめて知りました。しかもこれ、努力でどうなるもんではなく、センスなんですよね。どこから物語を始めて、どういう展開をして、どう終わらせるか。これはその人の感性によるんですよ。
——なるほど。
ニシダ 面白い話を考える能力と、話自体を上手に文章にする能力と、話の構成を練る能力は全部違うんですよね。宮崎駿監督ですら、1人ではアニメを作れないじゃないですか。でも、小説家はそれを全部やるというか。小説を書くってなると、俺みたいなもんでも、全部自分で考えてやらなきゃいけない。これは驚きでしたね。宮崎駿さんみたいな天才でも分業してるのに。
——(笑)。でも、実際に自分で書いてみることで、小説の読みが深くなるのは楽しそうですね。
ニシダ そうですね。解像度が上がったので、今の方が読むのも楽しい気がします。
作者の視点を知ることで、作品への解像度が上がるのは何事にも共通する気がします。それこそ音楽でも実際に楽器を弾いたほうが凄さがわかるだろうし、映画でも自分で撮ってみて初めてわかることがあるはず。お笑いもそうかもしれませんね。
——お笑いも自分でやってみたら、人格に結びつけた批評のエグさがわかるかもしれませんね。
ニシダ 自分でやってみたら、安易な分析なんて絶対できないですよ。芸人のネタを、人格と結びつけることの無意味さにも気づけるんじゃないかな。たしかに漫才は「ニン(人)が大事」っていうように、その芸人の素の人柄が反映されてたほうが説得力も増すし、絶対におもしろくなる。でも、それってあくまでもとっかかりなんですよね。
芸人にとっては、自分の本音を伝えることよりも、目の前のお客さんを笑わせることが大事。ウケるためなら、本心と違うことを言う場面もある。だから、芸人の言葉を鵜呑みにして、その人のパーソナリティを判断するのは無理だと思います。全部が噓でもないし、全部が本当でもない。そういう芸人の性質みたいなものは、実際にお笑いのプレイヤーになってみることで、より実感できるのかもしれないですね。
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視力が良いというニシダさん。メガネには関心がないと思いきや、興味津々のようです。
「視力が両目とも1.5あってメガネには縁のない人生だったんですが、実はめちゃくちゃ掛けてみたくて。伊達メガネをしたいけど、変な自意識が邪魔して掛けられない。彼女や友達とJINSに行っては羨ましい思いで、死角にはいってこっそり試着したりしてました。メガネにしかない色気に憧れてるので、いつか挑戦してみたいです。恥ずかしいですけど」
(プロフィール)
ニシダ
お笑いコンビ・ラランドのツッコミ。2014年、上智大学のお笑いサークルで、サーヤと共に結成。2019年、当時アマチュアながら『M-1グランプリ』で準決勝に進出、翌年もセミファイナリストとなり、一躍脚光を浴びた。個人事務所「株式会社レモンジャム」を設立した。二人とも個人としても活躍しており、ニシダは今年7月に初の短編小説集『不器用で』を出版した。