「新しいこと」に抵抗しない

——こうしてお会いして、お話しされるときの目の輝きに「ああ、関根さんだ」と感激してしまいました。テレビを見ていても、もう何十年もずっとお変わりがない印象です。

ああ、きっと人間が好きだからなんでしょうね。人と話すときはついつい「この人どんな人なんだろうな」「どんな経緯があって、今こうしてるんだろうな」とかって、興味を持ってじっと見ちゃう(笑)。
見た目はなんでだろう。来年70歳になるんですけどね。若い人とずっと一緒に仕事してるからってのもあるでしょうね。それこそ、峯岸みなみちゃんもそうだし、若い人たちと常にたくさん話すじゃないですか。その度に自分も更新されますよね。

それに孫がいますから、女の子がふたり。何が流行ってるとかなんでも教えてくれますよ。もうずっと孫を笑わせてるんです。勉強だったり、いろんなストレスが彼女たちにもきっとあるじゃないですか。それを笑わせてスッキリさせてあげたいんですよ、夜よく眠れるように。「ベストグランドファーザー賞」があればほしいんですけどねえ、これがないの(笑)。

——お孫さんたちは、とっても贅沢な時間を過ごされていますね。若手の芸人さんたちとたくさん共演される中で、関根さんは常に「この前、あれが面白かったよ」「あそこがいいね」と褒められています。それも、心地よく伸び伸びとさせてあげたいというのがありますか。

いやいや、それはただのファンだからです(笑)。ぼくはとにかくテレビを見るのが好きなんですよ。もうずっとテレビっ子。そしたら、面白い人たちがたくさん出てるじゃないですか。会ったら、それを伝えたいんですよ。「あれ、面白かったねえ」って。
『キングオブコント』なんて見てても感激しちゃいますよね。やっぱりお笑いも、どんどんどんどんレベルが上がって、本当にすごいなあと思います。

今年の5月からは、ぼくYouTubeも始めたんですよ。どうやって始めればいいかわからなかったんだけど、マネージャーが「関根さんやってみませんか? 見たい人いると思いますよ」って言ってくれたから。「君がそういうなら、やってみよう」ってね。そこでまた、ニューヨークとか鬼越トマホークとコラボしたりしてます。やってみたら、めちゃくちゃ楽しいですよ。


——常にいろんなところにアンテナを張られていて、新しいことに挑戦されていますね。

あんまり新しいことに抵抗はないかもしれませんね。
3年ほど前にNHKの連続テレビ小説に出させてもらったのもいい挑戦だったなあ。広瀬すずちゃんの義理のお父さんで考古学者の役だったんですけどね。専門用語がいっぱいあるから、1週間ぐらいかけて暗記して挑んで。一発OKもらったもんで嬉しくて、楽しみにしてオンエア見たんですよ。そしたら、すずちゃんのナレーションが重なってて、ぼくの台詞聞こえてないの(笑)。ドラマって厳しいなあ、と思いましたね。だけどこれで終わるのも嫌だからね。また絶対挑戦したいんですよ。

21歳で、一般人から突然タレントに。

——関根さんは、大学生時代に『ぎんざNOW!』の「しろうとコメディアン道場」に出演されて、そこからデビューされましたよね。当時も挑戦の連続だったのではないですか?

21歳でアマチュアのまますぐに芸能界入っちゃったからね。下積みもなければ、師匠もいない。もう必死ですよ、毎日が。ハムスターが回し車でくるくるずっと回るでしょう。あれと同じ感じ。すぐに次の収録が来ちゃうから、立ち止まって考える暇もないの。番組に出演していくなかで、どうやったらいいか、どうやって爪あとを残すか、いかに前回を超えるか、を考える。そればっかりですからね。
先々何やりたいとかっていうのは、想像したこともなかったですね。まさに毎回、自己ベストを更新していく、ってことだと思いますよ。そうしなきゃやっていけなかったですから。

——自分で自分を乗り越えていくしかない状況だったんですね。そこから48年間、常に第一線でご活躍されているわけですが、その姿勢はどんなふうに変化していきましたか?

もちろん、キャリアを積んだのもそうですし、自分で劇団を起こして座長になったりすることで、「周りの人のことも目立たせてられるように」「番組全体のことを考えて」っていう動きができるようになってきました。
だけど根本として、与えられた仕事でどうやって結果を出していくか、っていうその姿勢は変わらないんじゃないかな。なぜかっていうと、この仕事には定年がないからなんです。
何歳で終わり、というのがない代わりに、必要とされなくなったらそこで引退。自分で決められませんからね。だから常に挑戦し続ける、っていうのは変わらないかもしれませんね。

——48年間、ずっと逃げずに挑戦を続けてらっしゃる……とてつもないパワーです。

まあ、とはいえ基本的にぼくは全部が楽しいですからね。大好きなテレビですから。苦しいって感じるようなことはあまりなくて、いかに楽しみながら挑戦するかってことってなんですかね。だから、逃げたいと思うようなことなんて、まあ、なかっ……あ、あった。ぼく、1回だけ逃げたことありましたよ! 思い出した!(笑)


小堺さんが照らしてくれた、峠道

——関根さんでも、音(ね)を上げてしまうようなことがあったんですか。

1度だけ本当に辛いことがあったの。27歳のときでした。『夜はともだち』(TBSラジオ)っていう、月〜金曜日に帯で放送しているラジオ番組があったんですよ。当時、「第2の久米宏」として注目されてた松宮一彦さんっていうアナウンサーが出演してたんですけど、他の番組の都合で木曜日だけ出られなくなっちゃって。
それで、木曜日の代役が必要になったわけなんです。そこに放り込まれたのが、ぼくと小堺(一機)くんでした。だけど当然、そのラジオは松宮アナウンサーのファンが聴いてるもんだから。他の曜日は何百枚とハガキが来てるのに、木曜日は2枚しか来ないの。今でも覚えてるよ、オオクマリョウタくんって人が毎週送ってくれてた。他には来ないんだもん。その2枚を4回くらいに分けて読むんですよ。

すごく惨めな気分だったし、「なんてつまんない放送してんだ」って事務所からも怒られるしね。もう毎週木曜日が来るのが嫌で嫌で。本当に辛かったんです。だけど、ぼくらみたいなペーペーが「辞めさせてください」なんて生意気なこと言えないでしょう。
それでぼく、小堺くんに提案したんです。「あまりにも辛すぎる。クビになるように仕向けないか?」って。それで次の週、普段コントでやってるようなふざけたくだらないことを、うわぁ〜って思いっきりやったんですよ。逃げてやれ!って思いでやってるから、相当ひどいもんでした。二人でふざけ倒して、番組めちゃくちゃにしちゃったの。

そしたら途端にハガキが増えてね。で、結局そのラジオ、27年半やったの(笑)。

——はははは(笑)。うまくいっちゃって逃げられなかったんですね。

何が当たるかわかんないもんでしょう。本性を見せるって大事なんだね。気取ってちゃいけないんですよ。自分たちらしくしないと。
それからも、ラジオの向こうの人たちの存在が本当にありがたくて。今でも当時のリスナーが舞台を見にきてくれますよ。あのラジオでの経験は、ぼくの芸能生活の支えになってますね。小堺くんという盟友と乗り越えられたのも、また良かったしね。

——「コサキン」としてお馴染みのお二人ですが、関根さんにとって小堺さんはどんな存在ですか?

彼は2年後輩なんだけど、ぼくを導いてきてくれたのは小堺くんなんですよ。
ぼくにラジオや舞台のおもしろさを教えてくれたのも小堺くんだし、なんと言っても、あるとき「漫才ブーム」が来たんですよね。浅草で修行したツービートさんだとか、関西の本場で舞台を踏んできたオール阪神・巨人さんとか、ザ・ぼんちさんとかね。そういう人たちが大活躍するようになって、ぼくはちょっと弱気になっちゃったんです。素人上がりのぼくらなんかじゃ太刀打ちできないと思っちゃった。
だけど、そんななかで小堺くんがバンッと売れたわけですよ。それ見たときに「あ!」っと意識が変わりましたね。「あ、オレたちでも行けるんだ!」「あの人たちだけが特別なわけじゃないんだ!」って。それまでは昔の碓氷峠(うすいとうげ)※みたいなもんだったんです。霧で前が見えない峠道を進んでるみたいに怖かった。先がどうなるのかわからなくて。そんなときに小堺くんが売れてくれたことで、少し道が見えてきたんです。ぼくにとって小堺くんはテールランプだったんですね。ああ、こういうふうに行けばいいんだ! って教えてくれる存在だったの。だから、彼は背中を見せてくれる弟分ですよ。
悔しいとかそういうのはないんです。小堺くんが道を照らしてくれて、ありがたいなあ、ってそればっかりですよ。

※群馬県安中市松井田町坂本と長野県北佐久郡軽井沢町の境にある峠。日本海に流れる信濃川水系と太平洋に流れる利根川水系とを分ける中央分水嶺で、霧がたちやすい場所で知られる。

誰よりも「視聴者」でいること

——小堺さんというテールランプを頼りに、峠道のようなこの世界を模索してこられた。そこから「関根さんらしさ」というものを武器に堂々と歩き始められたのはいつ頃からでしょう。

どうでしょう、明確に「ここ」ということはないですけど、たとえば『笑っていいとも!』に出始めた32歳の頃には、もう娘がいましたからね。それまでは、おちゃらけてるだけのやつだったかもしれないけど、家庭や父親という印象もついて、徐々に若い男性だけでなく、いろんな方にご覧いただけるように広がっていった気はしますよね。
ぼくって、爆発的にヒットしたことってないでしょう(笑)。だけど「大好きではないけど嫌いじゃない」、そういうポジションでじわじわと長くここまでやってこられたんだと思いますよ。そういう意味では『笑っていいとも!』は、良いきっかけになったかもしれませんね。

——『笑っていいとも!』といえば、なんと言っても「身内自慢コンテスト」(関根さんがMCを務めた、著名人に見た目がそっくりな家族や友人を自慢する人気コーナー)の推薦者紹介がとても印象的です。最近では、『水曜日のダウンタウン』で若いみなさんに推薦者紹介に挑んでもらう「2代目関根勤選手権」が話題になりましたよね。 

みんな、本当おもしろかったですよね。あれはぼくも、一生懸命やったなあ(笑)。

——そこで、少しでも誰かを傷つけること、嫌な気分にさせるギャグには、徹底的に「NO」を出される姿勢に、「関根さんはずっと昔から、誰よりも令和にピッタリの肌感覚をお持ちなのではないか」と感じ入るところがあったんです。

いやあ、あれはねえ。なかなか難しいもんなんですよ。でもたしかに、そうかもしれない(笑)。時代に合わせて「誰も傷つけない笑い」にアップデートしたわけではないもんね。要するに、あのコーナーって出てこられるそっくりさんも推薦者さんもタレントじゃない一般の方じゃないですか。きっとテレビでパーンっとフューチャーされることなんて人生で1回、2回あるかないかでしょ。そんなところで、なにか傷つくようなこと言われたり、あとあとみんなに言われて嫌な気分になるようなこと言われたら悲しいじゃないですか。トラウマになっちゃいますよ。「テレビなんか、出なきゃよかった!」ってね。
だけど、ぼくだって笑いはとりたい(笑)。その狭間で何ができるか。その制約を守りながらどれだけ楽しくできるか。そこでベストを尽くしてるんですよ。
ぼくはテレビが大好きな視聴者でもあるから。いつも視聴者目線なんですよね。一般の人を傷つけるのは絶対嫌だし、こんなこと言ったら見てる人は嫌がるだろうな、とかってことは常に考えてます。

——その感覚が、関根さんの笑いの輪郭を作り上げているのかもしれないですね。

視聴者目線は大事にしつつ。だけど、エゴサーチなんかは絶対しないの(笑)。いい意見も悪い意見も見られるのはごく一部のものだから。それを気にしてたってしょうがないじゃない。名無しの意見は気にしない。自分のやるべきことをやる。それも大事にしてますよ。

前回の自分を超える=限界を超えていく

——再来年には芸能生活50周年を迎えられますが、自己ベストの更新という挑戦は変わらず続けていかれますか?

そうですね。もう、それをやっていくしかないですもんね。「師匠」っていうより、若い人たちとずっと「仲間」でやっていきたいってのがありますしね。

毎年、舞台もやってるんですけど、「去年より面白くできるかな」とか、やっぱり悩むこともありますよ。去年の台本と見比べながらね、準備と稽古はもうとにかく全力でやるわけですよ、更新できるように。だけど本番は楽しんで、もうその結果を受け止めるしかない。舞台ってそういうものですからね。ウケなかったら、それが自分の実力だし。お客さんが来なくなったら辞めるしかない。そういう覚悟でなんでもやってます。

結局ね、前回を超えなきゃっていうことは、自分の限界も超えなきゃいけない。そこは同義なんですよね。全部そう。限界だと思ってた自分を超えていけば、評価も上がっていきますから。プロなら、それをやってかないとダメですよね。合格ラインは当たり前。そこからどうやって自己ベストを更新していくかってことでしょうね。


——関根さんから滲み出ているのは、思いやりのお人柄と、挑み続ける挑戦者としての輝きなのかもしれませんね。

挑戦はずっとずっと続けたいですね。それにとにかくぼくには、NHKの朝ドラで台詞が聞こえる役をやりたいって目標もできましたからね(笑)。 もうね、それは絶対に叶えたいと思ってるんですよ。だけど、1回で達成できるもんじゃないってことは前回わかったから。ぼくは、悩めるヒロインに「止まない雨はないよ」「マイク・タイソンもはじめから強かったわけじゃないよ」みたいな台詞をサラッと言えるような「イイじいちゃん」の役がやりたいんでね。そういう重要な役をやらせてもらえるまで、何度だって挑戦したいと思ってますよ。70代の夢ですね(笑)。

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デビューから48年間、第一線で活躍を続け、常に自己ベストを更新することで道を拓いてきた関根さん。やわらかな物腰、やさしい笑顔、と共存するのはプロとしての並々ならぬ覚悟と、挑み続けることを心から楽しむ姿勢でした。
関根さんには及びませんが、JINSも創業34年、メガネ業界に進出して21年。絶えず続けてきたのは、お客さまの目線を大切に常に新しいことに挑戦し続けること。そして、お客さまの期待を超える努力を惜しまないことです。
過去や今にとらわれず、これからも変わり続ける勇気を改めて学ばせていただきました。

最後に、関根さんにJINSへの印象を聞いてみました。

「老眼には敵わないですからね。ぼくも普段はメガネをかけてますよ。昔のメガネ屋さんって、高級でいかにも入りづらかったでしょう。だけどJINSは、カジュアルでお店も入りやすい。種類も豊富でリーズナブルだから、洋服や気分によって変えられるよう、いくつ持っててもいいですもんね。メガネの世界もお笑いと一緒で、どんどん良くなっていっているのがよくわかりますよ」