
壁はなくならないから、対話をしてみる
——特集テーマの「壁を、扉に。」についてお聞きしたいと思います。岸田さんは障がいをお持ちの弟さんに対する誹謗中傷のリプライにもひとつひとつ返信して向き合うなど、壁をつくらない人という印象がありますよね。
そんなことないですよ。むしろ逆というか。私自身、そこまで人と接することが得意じゃないから、赤の他人と積極的に関係を深めたいとは思いませんし。
——そうなんですか。だとすると、SNS経由で届く声を無視することもできたと思います。向き合ってみようと考えたのはどうしてなのでしょうか?
私の弟はダウン症なのですが、彼に対してひどいことを何のためらいもなく言う人がいるわけです。それが偏見や差別といった壁ならば、それがあるかぎり私はずっと怒り続けるし、悲しみ続けることがわかっていた。だから、私が納得いく形で落としどころを見つけたいと思ったんですよ。
——それが対話をしてみることだった、と。
ただ、これが現実世界の話だったら、すぐに心を閉ざしていたと思います。インターネットを介したコミュニケーションだからこそ、向き合う姿勢になれたのかなって。というのも、私自身がインターネットの優しい部分に救われてきたんですよね。
私は7歳のときに父からパソコンをプレゼントされて、それ以降インターネットを通じた交流を続けていました。父が亡くなった、続いて母が病気で歩けなくなって介護が必要になった、なんて重たい話、同級生のような身近な人にはなかなかできなくて。当時ものすごく孤独を感じていたのですが、そういう人たちが寄り集まって本音を語れるやさしい場所がインターネットでした。
だから攻撃的な発言をする人に対しても、あの時の私と同じようにまわりの人に聞いてもらえないからちょっと大袈裟に書いているのかなとか、実はものすごく傷ついているんじゃないかとか考えてしまうんです。

弟が「何を話すかではなく、なぜ話すか」を考えてみた
——すると、岸田さんは誰かが「壁」を持っていたとしても、その背景に目を向けているということなんでしょうか。
そうかもしれません。「壁」は、人の中にあるんじゃなくて、外にあると思うんです。それを社会と言い換えてもいいかもしれません。たとえば、弟は知的障がいによる言葉の壁があります。母音だけ、しかも単語で話すから、私や母は理解できるけれど、普通の人は何を言っているのかきっとわからない。
でも、弟は自分が喋れないことを壁だとは思ってないんですよ。むしろ、みんなが違う言葉を話していると思っている。だから、弟が発する一言にさまざまな試行錯誤が垣間見えることがあって。
弟は以前、福祉作業所という障がい者の就労支援のための作業所に通っていたのですが、ある時「行かない」と言い出したんです。最初は朝早く起きるのが嫌なのかなと思っていたのですが、1年くらい経った頃、その作業所でスタッフさんから「喋らないで早く作業してください」と言われていることを知りました。弟は喋ることが大好きなので、それはとても辛いことだったんです。
私たちがそのことに気づくまで1年もかかってしまった。その時の反省から「何を話すかではなく、なぜ話すかを考えないといけないね」と母と話したことがあるのですが、そういう経験があるから理由を探りたくなるのかもしれないですね。この時の教訓を生かして、今はものすごく良い福祉作業所を見つけることができました。

誰かの「壁」のために自分を犠牲にしない
——背景を想像することで、「壁」の捉え方を変えられるということですね。一方で、心の引っかかりや悲しい思い出によってできる「壁」に対して、どう接していますか?
その「壁」を見つけた時に、それを触ってはならないものだと距離を置くのではなく、そこにいる一人の人間そのもののように、「壁」を捉えることが大事だと思っています。
たとえば、私が今着ているヘラルボニーも「障がいを持つ人がつくったアートを利用している」というラベルが貼られてしまうと、なんとなく褒めなきゃいけない気持ちになるじゃないですか。「まあ、(障がいで)大変なのに素敵ですね」だなんて。
その言葉が発せられた瞬間、一人の障がいのある人間が純粋無垢な存在のように仕立てられてしまう。でも、私は「本当にそうか?」と思うんです。弟と同じ障がいを持つ人でも、それぞれ得意なことも違えば、苦手なことも違うし、良い人も悪い人もいるわけですから。

——それは障がいの有無とは関係ない、人間の素養みたいなものですよね。
目の前にいる、いろんな人生を経てそこにたどりついた「あなた」と「わたし」として向き合う。その上で失礼があったり、傷つけてしまったら謝ればいい。
ちなみに、うちの弟の誰かの「壁」への対処法は面白いですよ。彼はめちゃくちゃ空気を読む人間なんです。私がイライラした雰囲気を出しているといつの間にか姿を消していたり、悲しそうな顔をしていたら「姉ちゃん、温泉行こうや」と誘ってきたりと、ものすごく優しい。
ただ、そういった気遣いが自分の願望を叶えるための手段になっているのが面白いところで。私を温泉に誘うのも、本当は自分が行きたいからなんですよ(笑)
——岸田さんを元気づけるのが目的ではなく?
なんなら、「お、ちょうど良いところに落ち込んでいる奴がおった」くらいに思っている気がするんですよね(笑)。でも、それが心地良くもあって。相手に優しくしているつもりで、どこかで見返りを期待していることってあるじゃないですか。それで思い通りにならないと「せっかくやってあげたのに」と裏切られた気持ちになってしまう。誰かのために自分を犠牲にしない、弟の「自分のやりたいことだけやってあげる」スタイルは、なかなか良い「壁」への接し方なんじゃないかな。

「神様は越えられない試練は与えない」って、そんなわけあるか!
——弟さんらしく、「壁」を「扉」にしているのかもしれないですね。岸田さんご自身は、何か思い通りにならないことや、辛いことがあった時はどうしているのでしょうか。
私は、乗り越えないようにしています。「神様は越えられない試練は与えない」って言う人がいるじゃないですか。私は「そんなわけあるか!」って思っちゃう。それは壁を越えられた人が言ってるだけでしょって。少なくとも、私には無理だなって。父が亡くなった時も、母が歩けなくなった時も、悲しみの壁を乗り越えられる気は全然しなかったですし。
あの時は、とりあえず目の前にあるご飯を美味しく食べること、明日なんとか生きることだけを考えていました。すると、気づいたら母親を車椅子に乗せて出かける機会が増えたり、父との思い出を振り返ってみたりということが自然とできるようになっていたんです。「壁」は「壁」のままそこにあり続けるんですけど、1年、2年という月日が経つ中で、捉え方がどんどん変わっていくというか。
——それはつまり、壁を見つめる時間が必要ということでしょうか?
そうそう。すぐに乗り越えることは難しいから、「壁」は「壁」としてそのままにしておいて、いろいろ眺めてみる。時には爪を立ててみたりするのもいいかもしれない。すると、なんとなく特徴がわかってくるんですよね。「厚みはあるけど、横幅はそんなにないな」とかって。もしかしたら、眺めているうちに「壁」が意外と弱いことに気付けたり、思わぬところに抜け穴を見つけたり。乗り越えなくても、押したり引いたりしているうちに、いつの間にか壁を突破できている、なんてこともあるかもしれません。

いろんな人の「壁」から、あたらしい視点を見つけたい
——まさに乗り越えるのではなく、扉をノックしてみたり、ガチャっと開けるイメージですよね。これから編集長として「JINS PARK」をどんな場所にしたいと考えていますか?
「壁」って、相手のことを知るのにいちばん良い材料だと思うんですよね。自身が抱えているコンプレックスやしんどいエピソードに対して、どのように向き合っているのかがわかるので。
私自身は、チャップリンが「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」と言っていることに倣って、「人生は一人で抱え込めば悲劇だが、人に語って笑わせれば喜劇だ」と常々言っていて。渦中に身を置いている時は辛くて仕方ないことでも、笑い話として書いてしまえば救いになるんですよ。そうやって私自身はたくさんの悲劇を喜劇に変えてきました。
ただ、それは私の対処法なので、他にも良い方法があるかもしれない。いろんな人が持っている「壁」を通じて、私が持っていなかったあたらしい視点を見つけたいなと考えています。「壁」を語っていただく人の中にも、それを読んでくださる人の中にも、まだ持っていなかった視点が次々に生まれたら、嬉しいですね。
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実は、かなり前からずっとJINSのメガネを愛用されているという岸田さん。中学生の時に訪れたイオンモールに入っていた店舗にふらっと入ったのがはじまりで、2020年の元旦発売の「ドラえもんモデル」は、発売日に並んで購入したと嬉しそうに話してくれました。まさにぴったりの編集長就任に、取材チームからも嬉しさのあまり笑い声が。
取材の最後に、さらりとしてくださったこんな話が印象に残っています。
「以前(JINSの代表取締役CEOの)田中 仁さんと取材でお話した時、JINSを立ち上げるまでに、失敗ばかりだったと聞いて。当時の私は会社員として失敗ばかりだったのですが、とても勇気づけられたのを覚えています。その時はお話を聞きながら泣いてしまったくらい。なので、JINSは私にとってとても大きい存在なんです。さらにその時、目が見えにくいという大きな不便が、メガネによって取り払われたということも教えていただきました。メガネ自体もまさに『壁』を『扉』にした装置ですよね」
岸田編集長の任期は6月からの4ヶ月。これからお届けする記事を楽しみにお待ちください!
