“好き”を人に伝える、それが仕事に

——寺坂さんは、デパート、紅白歌合戦、ラジオなど、好きなものへの探求心が驚異的で、たびたびその知識や愛情を披露していらっしゃいます。そんな寺坂さんが、ラジオを仕事にした理由はなんだったのですか?

僕は、ラジオに救われた人間なんですよ。不登校になった中学生の頃に、ラジオを聴くようになりました。生の人間と付き合うことがないから、ラジオの語りに一番影響を受けるわけです。あるラジオで「学校なんか行かなくていい、逃げてもいいんだよ」という言葉を聞いて、すごく気が楽になりました。

その後定時制高校に入るんですが、これも嫌でしょうがない(笑)。だから、校舎を放送局に見立てて、自分は放送局に通っている“設定”にしました。宮崎東高校だったから、宮崎東放送。

僕は夕方5時50分から夜9時までの帯番組を担当するアナウンサーなわけです。番組名は「寺坂直毅のイーストレディオ」。すると、職員室はアナウンス部、体育館はスタジオに見えてくる。そうやってどんどん妄想を広げていったら、嫌な学校生活も意外と楽しいものになりました。

それと、高校時代は文化放送の『今田耕司と東野幸治のCome on FUNKY Lips!』にハガキを出していて、けっこう読まれていたんです。現実では生きる場所がなくて、友だちもいない自分が考えた文章で、今田さん、東野さん、作家さんが笑ってくれる。そんな風に“光る場所”があるんだったら、そこに行こう。放送作家になりたい、と思いました。

——その今田さんと東野さんが司会のテレビ番組『やりすぎコージー』(テレビ東京)で、寺坂さんを特集した回がありました(2006年4月放送)。紅白歌合戦やデパートを取り上げた内容で、寺坂さんの“好き”のすごさが周知されたきっかけだったのではと思います。寺坂さんは、もともと「“好き”を仕事につなげたい」と考えていたのですか?

全然! むしろ、ずっと自分の好きなことは隠していました。『やりすぎコージー』に参加させていただいてすぐの頃、花見の席の帰りの電車で一緒になった先輩作家の遠藤敬さんに「なにか趣味あるの?」って聞かれたので、ボソボソと紅白とデパートの話をして。僕が24歳くらい、羽根木公園(東京都世田谷区にある公園)だったと思います。

そしたら、遠藤さんがすごく反応してくれたんですよ。後日、今田さん東野さんもいる打ち上げで、遠藤さんに呼ばれ、お二人の前で紅白の曲紹介をやりました(寺坂さんは過去すべての紅白歌合戦の最終歌唱前の口上を暗記している)。そしたら今田さんが「お前で1本(番組)やろう!」って(笑)。

憧れの今田さん東野さんの番組で、自分の趣味と共に、学生時代の辛い思い出とかコンプレックスとかをさらけ出したら、なんか報われたんですよね。お二人が笑ってくれた!って。過去の嫌なことが全部浄化されていく感覚でした。

しかもその放送を、NHKの方が観てくださって、いろいろお話しさせていただけたんです。この経験があってから、自分の好きなことを堂々と周りに言うようになりましたね。

——“好き”を人に伝えたことで、仕事に「つながっていった」という感じなんですね。

はい。人に伝えることはすごく大事だと思います。

苦手なことを好きになるまで知るのが楽しい

——憧れの業界に入り、趣味も仕事につながっていった寺坂さんですが、一方で「好きなことは仕事にすべきではない」という意見もしばしば耳にします。否定派の意見として、たとえば「好きなこととはいえ仕事。趣味のように、自由に好きなことだけができるわけじゃない」とか。

たしかにそうですね。僕が最初にラジオに携わったJ-WAVEの『RADIPEDIA』という番組は、作家が「選曲以外全部」をやる番組だったんですよ。毎回特集を考えるのはもちろん、毎週のように渋谷ハチ公前で街頭インタビューをしたり、流行のサービスを体験して実況したり、ゲストの方に出演の交渉をしたり。さらに、生放送で、ナビゲーターに直接報告をしていました。

その頃『HELLO WORLD』っていう情報番組で「高校野球の応援」というテーマを担当したことがあって。僕は野球にはまったく興味がないんですよ!(笑) でも取材しなくちゃだから、まず甲子園球場に電話です。「うち(の担当)じゃない」と言われ、高野連(日本高等学校野球連盟)に電話。また「うちじゃない」。

また別のところにに電話したら、今度は「おたくの局は高校野球の中継してないでしょ。ダメダメ!」って。このままじゃ引き下がれないんで、後日改めて熱意のメールと企画書をしたためて。やっと取材許可をもらえたんです。

そうやってやっとの思いで甲子園に行ったら、これがまあ面白いわけですよ! 沖縄の高校が試合をしてて。そのスタンドで、応援に来た大人がみんなオリオンビールを飲みながら、ブラスバンドの演奏にノって踊ってたんですよ。ちょっとした居酒屋感覚なのかな(笑)。沖縄代表が試合をすると、関西中の沖縄人が集まるなんてまことしやかな話も聞いて。

すごい頑張ってる高校生の選手と応援団、盛り上がる観客たちを見て「ああ、ここにはここで、いろんな人生ドラマがあるんだな」と思いました。

甲子園の件は一例ですけど、取材に行くと、それまで自分が絶対出会わなかったような知識が得られるわけです。「“かちわり”ってなにこれ、ただの氷じゃん!」とか「甲子園ってカレーがうまい!」とかね。自分で取材をするっておもしろいですよ。異ジャンルに溶け込んでいくっていうか。苦手なことを好きになるまで知るのが楽しいんです。

——苦手も“好き”に。すごくポジティブな考え方ですね。

それに、やっぱり放送するところがラジオじゃないですか。ラジオに救われた分、ラジオに恩返ししたいって気持ちもある。結局、「ラジオが好きだから」の理由でなんでもやれちゃうんですよね(笑)。

常に「リスナー」でありたい。放送作家の勝負所

——憧れの人たちと仕事ができるのはうれしい反面、ドキドキすることはなくなりそうです。ファンとして純粋に楽しむ気持ちが薄れるのは、すこし残念じゃないですか?

いやあ、「おいしいな」って思いますよ。僕、すごいミーハーなんです。たとえば、星野さんの誕生日のラジオに毎年来てくれるバナナマンさんの、天才的におもしろいやりとりを間近で見られたり。はっきり言って特等席でラジオを聴いている気分です(笑)。

松任谷由実さんのラジオを淡々とやりつつも、ふとしたときに「これがユーミンなんだ!!」とか、いまだに思いますし(笑)。

——あはは、そうなんですね! ラジオを聴いていても、はしゃいでいらっしゃるような印象を受けたことがなかったのでちょっと意外でした。

あぁ、そこはすごく気をつけてます。どんなスターを前にしても、どこか冷静でなきゃいけない。アーティストのみなさんは、そんな人を求めているような気がします。つかず離れずの距離感であるように見せることも、この仕事の頑張りどころかなと。

——スタッフだけどミーハーのままで、ファンだけど夢中になりすぎない。バランスをとるのが難しそうです。

僕の中では、スタッフでもファンでもなく「リスナーでありたい」って感覚が一番強いです。「客である」っていうか。それは冷静になるためにも、“好き”という意味でも。お客さんって飽きるときはすぐに飽きるし、素通りもするし、アンチもいる。どうやったらそういう「お客さん」を引きつけられるかをいつも考えています。

だから今でもラジオはたくさん聴いてるつもりです。たまーにまったく知らない番組に匿名でメールを出してみることもあるんですよ。読まれたときは、まぁうれしい! あのドキドキってやっぱりすごいですよね。

——人によっては、一生に一度の出来事ですもんね。

うん、中学生の僕がまさにそうでしたから。初めてナイナイ(ナインティナイン)のオールナイトニッポンでハガキを読まれたときにもらった「ふくろ」はいまだに保存してます。そういう「リスナー」の気持ちを忘れずに、ラジオをつくりたいと思っていますね。

【プロフィール】
寺坂直毅
放送作家。1980年。宮崎生まれ。『星野源のオールナイトニッポン』『松任谷由実のオールナイトニッポンGOLD』(ニッポン放送)『うたコン』(NHK総合)などの構成を担当。デパートの知識も豊富で、著書に『胸騒ぎのデパート』(東京書籍)がある。

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