アートや工芸、デザインを学ぶ学生たちが集う、多摩美術大学の八王子キャンパス。そんな多摩丘陵の起伏ある地形を活かした緑豊かなキャンパスの東側に位置するのが、清水淳子さんの研究室がある情報デザイン棟だ。

4階にのぼり、建物の奥にある一室に通される。小ぶりなソファにスツール、デスク。窓際に並ぶたくさんの本のそばには、丸められた模造紙が無造作に積まれている。

思わずじっと見つめていると、「いままで描いてきたグラフィックレコーディングです。基本的に私の手元には現物が残らないので、これはほんの一部ですけど」と清水さん。本棚には清水さんの著書で、世のグラフィックレコーダーたちの教科書にもなっている『Graphic Recorder ―議論を可視化するグラフィックレコーディングの教科書』も置かれている。この本が登場して5年。会議やワークショップ、トークショーなどで、グラフィックレコーダーが活躍する姿をよく目にするようになった。

そもそもグラフィックレコーディングとは、人々の議論や対話を図・文字・絵を組み合わせたグラフィックを用いて、リアルタイムで可視化する“手法”だ。単なるイラスト付きの議事録ではない。しかしその利便性ゆえ急速に世の中に広まってしまったため、本来のグラフィックレコーディングの目的からずれた、いわゆる“グラレコ風”なものが大量に生まれ、SNSでは炎上騒ぎも起こった。

「流行りだして数年は、SNSでバズらせることを目的にしたものや、すでに決まった主張を通すためのいわゆる“グラレコ風”なものが多く登場しました。でも、グラフィックレコーディングはあくまでコミュニケーションを円滑にするための手法。炎上騒ぎなどを経て、多くの人が本来の機能を見つめなおしてくれたのか、この1年でそのような“グラレコ”問題もある程度落ち着き、グラフィックレコーディングの質が研ぎ澄まされてきたという実感があります」

清水さんのいう人々の議論や対話を可視化する「質のいいグラフィックレコーディング」とは、いったいどのようなものなのだろうか。

こうして「グラフィックレコーディング」は生まれた

清水さんが「グラフィックレコーディング」という言葉を生み出したのは、2013年ごろのこと。しかしその原点は、はるか昔の幼少期まで遡る。

「実家が写真屋をやっていたため、私の家には大量のコピー用紙が置いてあって。それをステープラーで本みたいに綴じて、その日の出来事や思いついたことを文字や絵でまとめる。そんな遊びを小学生のころからしていたんです。授業のノートでも、『問いは青で囲む』『まとめは赤で線を引く』など色分けにルールを決めて、『意味』に色をつける作業を楽しんでいました。そうやって自然と情報の取捨選択を学んで、色や形を使って整理し可視化することが得意になっていったのだと思います」

大学に進学してからも、そんな幼少期に培った情報をまとめる力をグループ制作などで発揮していたものの、当時は「みんなの役に立つ能力」とは思っていなかったという。しかし、新卒でデザイン会社に就職した2008年、とあるアート系のトークイベントの内容をノートにまとめてTwitterにアップしたところ、かなりの反響があった。そこから徐々にイベントに呼ばれるようになり、清水さんは「私がリアルタイムで描くノートを欲しがる人がいる」ということに気がついていったという。

転機が訪れたのは2013年、活動を広げるなかで参加した、新しい働き方を考えるトークイベントに参加したときのこと。参加者のひとりから「イベント後の懇親会でこのメモを飾りましょうよ」と提案があったそうだ。

「実際に模造紙に描かれたメモを飾ってみると、その模造紙を見ながら『今の会社の働き方ってどう思う?』『こんな働き方ができたらいいよね』とどんどん会話が生まれていったんです。私が描いたグラフィックにコミュニケーションを生み出す力があると気づいたとき、『なぜ落書きに近いラフな絵で、こんなにも効果があるのだろう? いったいどのような仕組みでコミュニケーションが促進されてるのだろうか?』と疑問を感じました。その疑問について考えるために2013年から『グラフィックレコーダー』と名乗って活動しながら自分の問いを探究するようになったんです」

グラフィックレコーダーに必要な視点

会議や対話の場においてグラフィックレコーダーは、すこし離れた立ち位置にいながら、その話の内容をしっかりと把握している。参加者側から見ると、まるで外国語や手話の同時通訳者のように、ちょっと異質で気になる存在だ。清水さんはどのような感覚でその場に存在し、何を見ているのだろうか?

「輪の外から俯瞰(ふかん)して状況を整理し、同調しすぎず批判的な視点も持ちながら対話を見ていますね。昔から輪の外から見ているほうが、自分にとって心地いいというのもありますが、外から見ているからこそ見えることもたくさんあるんです」

清水さんが描いたグラフィックレコーディングを見てみると、まず遠目に色使いが楽しそうで惹きつけられる。近づいてみると、なにやらおもしろそうな絵や図、その横にはキーとなる問いや言葉が並んでいて、議論のテーマが少しずつ見えてくる。

「これって、こういう話?」「ここ、すごく共感できたなぁ」と見ている人が自然と会話を始めてしまう魅力があり、意識せずとも思考が深まっていくのだ。このようなコミュニケーションを発展させる力は、どのようにして生み出されているのか。

「私のグラフィックレコーディングが、情報のレイヤーが何層にも重なるようなつくりになっているからかもしれません。たとえば北海道と東京についての話があったとき、その違いを箇条書きで描くグラフィックレコーダーが多いのですが、私なら北海道と東京という話が出た時点で、まず日本地図を描きます。そうすることで、北海道と東京の間にある距離感も見えてきて、情報が多元的になるんです。そこから『ひょっとしたら、沖縄にも関係がある話じゃない?』と思考が広がる。このように、ただ出てきた言葉をまとめるだけではなく、どのように描けば議論を広げられるか考えながら画面を設計しているんです」

見る人の思考を広げるために、ひとつの情報を多元的に描いていく。そんな複雑な作業をリアルタイムでこなしながら、なぜこんなにまとまったアウトプットになるのだろう。

「さまざまな要素があると思いますが、レイアウトの観点から言うと、次の話題を推測して、どの場所のどのレイヤーの情報を描くか、あらかじめ座標を決定して描いています。ほかにも、重要な議論やその場でしか残らない話はこぼさずに描く意識を持ちつつ、反対にスライドにある話や調べればわかるようなことはあまり描かないように、取捨選択することもたいせつです。

あとは、どこまで具体的に描くかの判断ですね。たとえば感覚的な話がメインになった場合、その言葉のニュアンスを捉えて、説明的すぎないように、抽象的な概念としてやわらかく描く。一方で、ロジカルな内容の場合はビジュアルもはっきりと説明的な描き方にしています」

情報をデザインする意味とは

ところで、これまで度々出てきた「情報」というワードに注目してみよう。情報番組や情報誌、情報インフラといった言葉があるように、私たちはさまざまなメディアを通してなんらかの知識が得られるものを情報と呼ぶ。清水さんはいま母校である多摩美術大学情報デザイン学科で情報デザインを研究しているが、彼女はそもそも情報をどんなふうにとらえているのか。

「一般的に情報とは、視覚や聴覚を使って得られるものだと考える人が多いですが、それだけではありません。人間が五感で受け取れるものは、すべて情報。そう考えると、今いる空間にも実はたくさんの情報があふれている。光があり、温度があり、重力があり、においがあり、声の振動もあり、そのすべてが情報になる。そして私たちは、そのときどきで必要なものをピックアップしているんです」

なるほど。人間には無数のセンサーがあり万物が情報になり得るという前提があると、一気に「情報」の意味が拡張する。ただ、このような考え方をすんなり受け入れられるかというとなかなか難しく感じるが、現在、同校で専任講師の立場にもある清水さんは、超情報化社会を生きる学生にどのような学びの場をつくっているのだろうか。聞けばグラフィックレコーディングのノウハウなどは教えていないという。

「大学では、グラフィックレコーディングの具体的な技法を教えるのではなく、グラフィックレコーディングの根本にある『情報をとらえてなんらかのかたちに変換する意味』や『ものごとを俯瞰してメタ的にみる視点』を伝えようとしてます。次の10年で求められる情報デザインはなにかということや、新しいコミュニケーションの姿を考える力を伝えたい、と思っているんです。…でも、情報の根元を見つめる時間は、地味な作業も多いので、どうしたらおもしろく感じてもらえるのかは、いつも苦労していますね」

「誰もがフラットに話せる場」を目指して

なにを目的としてグラフィックレコーディングで可視化するのか。その目的をかなえる上で本当にグラフィックレコーディングという手法でいいのか。清水さんの話を聞いていると、グラフィックレコーダーはもちろん、デザイナーや編集者など情報を別のものに置き換えて伝えることをふだんから行う者は、こうした根源的な問いを常に自分自身に投げかけ続ける必要があるのだと感じる。そこで気になるのが、清水さん自身の「目的」についてだ。

「私の場合は、今までにない何か新しいものをつくる場が好きなんです。そういった場では、多様な価値観を持った人が集まることが多い。ただ、いろいろな人が集まっただけでは、どうしてもよく話す人と、声を出さない人に分かれてしまいがちです。そんなときに、なるべく全員がフラットに話せる場をデザインすることで、良いアイディアが見逃されないようにするための場所になることを目的にしています。

実際、議論の場でも私は、主張が強く権威を持っている“声の大きな人”の言葉も、“声の小さな人”が勇気を振り絞って言った言葉も、紙の上では対等に描きます。もし、発言者の肩書を変に意識してしまうと、その人の話を必要以上にたたえるグラフィックになってしまう。でもそれでは、情報の公共性が失われて、信頼されないグラフィックになってしまうんです。だから発言者がどれだけ声高に完璧な理想を語っていたとしても、その発言の中に、何かしらの矛盾や葛藤があれば、見逃さずにありのままを可視化するように意識してます」

会社組織であれ地域社会であれ、一部の“声の大きな人”を除けば、大半の人たちが“静かな大衆”に属している。ともすれば私たちの声はかき消され、無視されるおそれもあるのだ。「私自身も弱い立場をたくさん経験してます。また何かをつくるときに出てくる感覚的な話は、なかなか伝わりにくく消えがちですが、小さな声にこそ、大きなアイディアのヒントがあるように思いますね。そうやって常に公共的な情報の描き方を探しています」そんな願いに、清水さんらしい多様性へ視点と、情報化に対する美意識が宿っている。

「最近では、参加者にも書き込んでもらうワークショップ的なグラフィックレコーディングの事例も増えています。たとえば以前、未来子育て全国ネットワーク(miraco)のイベントでは、一般参加者120人、メディア30人と、36人もの議員・秘書が集まって、子育てに関する施策に対して、一般的な子育て世代の人たちに『やってみたい』と思った意見には赤、『賛成できない』と思った意見には青のシールを貼ってもらいました。そうすることで、普段はなかなか伝えられない議員への声を可視化したんです」

たしかにどんなにフラットな場をつくっても、誰もが同じ土壌で饒舌(じょうぜつ)に語れるとは限らない。しかし話し上手ではないからといって、その人たちの意見はないものにはならないし、もちろんほかの意見と優劣があるものでもない。「話し言葉をビジュアル・ランゲージ(視覚言語)に変えることで、話せなかったことが伝えられるチャンスが生まれるんです。どれだけ長い時間がかかったとしても、私はそういった場で使える新しいビジュアル・ランゲージのかたちを探究したいんです」と清水さんは言う。

ちなみにビジュアル・ランゲージとは、文字や動作、表情、手話、点字など、視覚的に情報を伝える言語のことだ。先述のとおり私たちはコミュニケーションにおいても、表情や身振り手振りなどあらゆるものを情報と捉え、意味を見出している。抽象的な概念を描いたイラストもまた、対話の場では言語となり、話し言葉で伝わりきらなかったことを饒舌に語ってくれるのだ。

「たとえば、日本語だと敬語や複雑な謙遜の文化があるから上下関係や萎縮が生じやすいけれど、英語で話すとフレンドリーで大胆になれる、ということがありますよね。それと同じで、言語の種類をビジュアルに変えることで、文字や言葉だと厳密さが気になって言えなかったことも、絵や図だったら未完成のアイディアも言えるようになるんです」

コミュニケーションで“境界”を変える

このように清水さんはビジュアル・ランゲージの可能性を探求する中で、「どうしたら人々の間にある境界線を解きほぐすことができるのか?」ということについて模索しているそうだ。2020年に自身のプロフィールから「グラフィックレコーダー」の肩書を取り、現在デザインリサーチャーとして、“Reborder”(多様な人々が集まる場で既存の境界線を再定義できる状態)をテーマに研究活動を続けている清水さんは、他言語間の翻訳のあり方にも課題の目を向けている。

インタープリター・和田夏実さんのプロジェクトでサポートした、手話通訳者・翻訳者による座談会で聞いたお話しなんですが、たとえば『陽が沈みました』という手話の動き。さくっと伝える動きもあれば、場合によっては『雄大な太陽が…地平線の向こうに…ゆっくりと沈んでいきました』と、動きに感動を込めて表現していることもある。その動きの表現をどのように読み取るかで、どんな翻訳になるか変わってしまう。コミュニケーションの間に入る人が、どのような翻訳を行うかで、誤解や隔たりを生み出してしまうことも多々あるんです。私たちが気づいていないだけで、境界線を変えるコミュニケーションにはまだまだ余地があるはずなんです」

世界の現状を見ても、国境や人種、立場を越えて互いが互いを理解し合うことは、私たち人類にとって永遠の課題のようにも思えるが、違う言語を持つ人同士、異なるバックグラウンドを持つ人同士が豊かで多様な感覚を伝え合える社会にしていくためには、どうすればいいのだろうか。

完全に理解し合うことができなくても、コミュニケーションの方法を変えることでさまざまな境界をとかし、歩み寄ることはできることを、清水さんは教えてくれる。お互いをもっと理解し合うためには、これまでのコミュニケーションのあり方を見直し、想像力を広げ、工夫することがたいせつなのだ。

「さっきまで壇上でしゃべっていた偉い人が、壁に貼ったグラフィックレコーディングの前ではしゃがみこんで社員としゃべっている。話すのが苦手な人が、グラフィックを使えば、指差しながら自分の意見をしっかりと言える。そんなふうに、グラフィックを通して、みんなが肩を並べて話せる場所をつくりたいんです」

真っすぐな瞳でこれからのコミュニケーションのあり方を語る清水さんの話を聞きながら、国や人種、宗教や思想も関係なく、たくさんの人がカラフルに彩られた一枚の大きな紙の前に肩を並べ、笑い合う景色を想像していた。

【プロフィール】
清水淳子(しみずじゅんこ)
1986生まれ。2009年に多摩美術大学情報デザイン学科卒業後にデザイナーに。2012年、WATER DESIGN入社。横断的な事業を生むためのビジネスデザインに携わる。2013年にTokyo Graphic Recorderとして議論を可視化するグラフィックレコーダーの活動と研究を開始し、同年にはUXデザイナーとしてYahoo! JAPAN入社。2019年、東京藝術大学デザイン科 情報設計室にて修士課程修了。現在は多摩美術大学情報デザイン学科専任講師としてメディアデザイン領域を担当しながら、多様な人々が集まる場で既存の境界線を再定義できる状態 “Reborder”を研究中。著書に『Graphic Recorder ―議論を可視化するグラフィックレコーディングの教科書』がある。

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