全盲の美術鑑賞者、白鳥建二さん

2021年12月。7年前に廃校になった小学校。こぢんまりした校舎の下駄箱に設置された受付を超えて、廊下を歩きすすむ。

左手すぐの小さめの教室に、背の低い学習机が9つ並んでいる。黒板の前に立つ、ひとりの男性。175cmくらいの細身の身体で、ハンチング帽をかぶった彼は、まっすぐに立てた白杖を身体のそばに寄せ、自然と背筋を伸ばして立っている。下がり目で柔らかい笑顔を浮かべながらも、凛としたたたずまいだ。

彼の名前は、白鳥建二。1969年、千葉県生まれ。全盲の美術鑑賞者である。

2歳の頃に弱視と診断された白鳥さん。12歳の時には目からの情報は光をかすかに感じる程度になり、やがてわずかな視力もなくなって、20代半ばで全盲になった。同じ頃に美術鑑賞と出会い、以来20年以上、日本各地の美術館を巡っている。

これから、白鳥さんがナビゲーターを務めるワークショップが開催される。舞台は、千葉県市原市の芸術祭、いちはらアート×ミックス2020+。旧平三小学校の校舎全体を使って、あちこちに展示された現代美術作品を、白鳥さんとともに見ながら歩く“鑑賞”プログラム(*)だ。
*……いちはらアート×ミックス2020+で開催された「市原100人教頭学校キョンキョン」中のプログラム

この日、参加者として集まったのは、7名の老若男女。アイスブレイクも早々に、全員でぞろぞろと教室を出発する。先頭で、参加者の中年女性が白鳥さんをアテンドしている。

「みなさんで順番に、僕のアテンドをお願いします。肘を掴ませてもらえたら、普通に歩いてもらって構いません。そして、その人の好きな作品のところにみんなで行きましょう」

どこへ行ってもいいと言われた女性は、戸惑うそぶりを見せながら、行き当たった2階の隅の理科実験室へ歩み入った。白鳥さんが誰に宛てるでもなく「どんな感じで展示されてる?」と一言。その軽い質問をかわきりに、ゆっくりと鑑賞会がスタートした。

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A:透明な、大きな作品が。テーブルが6つあって、それに1個ずつ。
白鳥:じゃあ6作品がここにあるってこと?
B:そうですね、それぞれ違う形の。
白鳥:じゃあその中のどれかひとつをみんなで見たいと思います。誰か主張して決めてください。
C:じゃあ一番遠くの、あの大きいのにしようか。

C:一見ビニールのつぎはぎでできた大きな立体像なのかなと思ってたけど、なんか固そう。
白鳥:へえ。
D:私はパッと見て氷に見えました。氷が溶けそうな感じ。
E:ああ、たしかに。
D:あとは歯の形にも見える。抜歯したあとの。
一同:ははは!
A:あっちは飴みたいな形!
E:あれは途中で枝が出てるみたいで、でも本体は大きなキノコっぽい。
白鳥:色は? 全部違うの?
A:いや、全部透明。
D:なんか窓からの光が反射してて綺麗ですね。不思議な透明。ちょっとベタベタした感じにも見えるけど。

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ポツポツと参加者の言葉数が増えていく。時に敬語、時にフランクな言葉でぼんやりした作品の印象を各々が自由に語る。いつのまにか、初対面で共通点もなかった7人の間に、この場を楽しむゆるやかな一体感が生まれていた。

みんなで一緒にしゃべりながらアート作品を鑑賞する。これが、盲人の美術鑑賞者、白鳥建二さんの行うワークショップだ。初めての体験をした参加者たちはなにを感じ、どんなことを考えたのだろう——

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白鳥さんには、アートがどう“見えて”いるのか?

そもそも、全盲の白鳥さんは、どうして美術鑑賞をはじめたのだろうか。

それは、20代半ばの頃に付き合っていた彼女との美術館デートがきっかけだった。2人で見たのは、レオナルド・ダ・ヴィンチの人体解剖図展。

「初めて行ったあのときが楽しくて。『美術館いいじゃん! 目が見えなくても楽しめるのかも』と思ったんです。彼女と一緒にいたからワクワクしたってだけかもしれないけど(笑)。盲人らしくなくておもしろいな、とも思いました。

それから自分で展覧会を探しては、美術館に電話をかけまくって『一緒に作品を見てほしい』ってお願いして。たいていは『そういうサービスはないんです』って断られるんだけど、諦めずに頼み込むと、対応してくれる人もいたんですよね」

訪れた美術館が増えるにつれて、共に鑑賞した人の数も増えていった。美術館関係者たちが、白鳥さんの活動に興味を持ってくれたことで、しだいにワークショップや講演会を開催するようになったのだそう。

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ワークショップを行うと、参加者からよく聞かれる質問がある。「(目が見えない)白鳥さんには、どう“見えて”いるんですか?」。

「言葉を聞いてなにを想像するのかって、知識量に影響されるんですよ。たとえば小説で『バカラがある』とあったら、みんななんとなく『あぁ、なんか高そうなガラスがあるんだろうな』って想像するでしょう。たぶん、具体的にバカラにどんな商品があるか知ってるわけじゃないけど、それで事足りる。つまり、モノの絵を正確に描けているかってあんまり重要じゃないんですよね。

俺が美術鑑賞をするときもそんな感じです。知識を持っているキーワードを頭の中でつなぎ合わせてイメージする。あえてたとえるなら、本の行間を読むような感覚に近いんじゃないかな」

誰でも経験のある行為を例に出され、「なるほど」とひざを打つ。川を隔てているようで掴めなかった白鳥さんの感覚を、すこしだけ想像できた気がした。ワークショップの始まりで、白鳥さんが参加者へ伝えていた“お願い”を思い出す。

「僕が全盲だから、当然『目の前にこんなものがあります』っていう話も出ると思うんだけど、話すことは、自分の印象とか、感想とか、見て思い出したこととか、作品に関わることならなんでもOKです。なんか嫌な感じがする、とかね。もし作品や作家の情報を知っている人がいても、それは置いておいてください。僕に説明する感じでも、作品の解説をする感じでもなくて、ただ全員で会話をするように、一緒の時間を過ごせたらいいなと思います

もしかすると、白鳥さんにとっての「美術鑑賞」は、「作品を見ること」だけを指した行為ではないのかもしれない。そんな仮説が筆者の頭にふっと浮かんだ。

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誰かと一緒に鑑賞する、ということ。

「そもそも美術が好きなわけじゃないんですよ」

ぼんやりと「白鳥建二」という人物の輪郭を掴んだと思えた頃、白鳥さんからこんな発言が飛び出した。

20年以上も美術鑑賞を続け、鑑賞のナビゲーターなども務める白鳥さんだ。当然アートが好きなのだろうと思っていたので、取材陣に戸惑いが広がる。ほんのりと微笑みをたたえる白鳥さんは、この困惑の色を楽しんでいるようにも見える。一体、どういうことだろう。

「えーっと。そもそも俺は、全盲の自分でも美術鑑賞できるのかっていう興味からスタートしてるって言ったでしょう。要するに、アートが好きだから美術鑑賞をはじめたわけじゃない。

美術館のある場所や、そこに行くまでのルート、美術館の建物、展示室の居心地、併設されているレストランはおいしいか、そういうのも全て含めて興味があったんです。もちろんそこには作品の話題も欠かせないんだけど。いわゆるアート好きって自覚はなくて、美術館に行くことが好きっていう感覚なんですよね。

だから鑑賞だけをとってみても、自分にとってはその“場”が重要。他のお客さんたちもいる展示室で、誰かと一緒に作品を見ながら話す“場”。そこには展示室の空気感や、一緒にいる人たちの声量、身体の向き、声の圧力、いろんな要素があるんです。その全部を含めての“鑑賞”なんですよね」

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だから、白鳥さんは情報をほしがらない。作品のそばに貼られた解説文を読むことはないし、自宅に帰ってアーティストを検索することも、作品が生まれた時代背景を調べることもない。

「たとえばオーディオガイドも自分には合わなかった。美術の知識に関心があるわけじゃないし、もし情報を得るのだとしても、美術好きな友だちに聞くほうがおもしろいからね。

オンラインでの鑑賞もそう。あれってどうしても“情報の伝達”になっちゃうでしょう。そういう楽しみ方があるのはもちろんいいんだけど、それは俺がやりたいことじゃない」

そして白鳥さんは「まあ全部、個人的な趣味だよね」と笑ってつけ加えた。この美術鑑賞へのこだわりに仰々しい理由はないし、これが「盲人の」「鑑賞の」解でもない、ということだろう。

目が見える、見えない、アートを知っている、知らない、どれだけ美術館へ行ったか——。どんな要素も関係なく、これは白鳥さん個人の楽しみ方に過ぎないのだ。

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【プロフィール】
白鳥建二(しらとり・けんじ)1969年千葉県生まれ。美術鑑賞者、写真家。生まれつき強度の弱視で、12歳の頃には光がわかる程度になり、20代半ばで全盲になる。その頃から様々な人と会話しながら美術鑑賞をする独自の活動をはじめる。2005年からデジカメで写真を撮るようになり、撮りためた写真は40万枚を超える。水戸芸術館現代美術センターをはじめ、いくつもの場所で講演やワークショップのナビゲーターを務めている。白鳥さんとの美術鑑賞を題材に、ノンフィクション作家川内有緒氏が執筆した『目の見えない白鳥さんとアートを見に行く』(集英社インターナショナル)が発売中。note@shiratorikenji