古き良きインターネットの善良性

——今回のインタビューでは事前に質問案をお送りしたところ、丁寧に目を通して返信をしてくださいました。ありがとうございます。

いえいえ、こちらこそ事前に質問案をもらえてありがたかったです。もともと準備癖というか、ちゃんと用意しておかないと不安になるタイプなんですよ。それに加えてインタビューだと、思いがけず心にもないことを言ってしまったら後悔するんです。なので、確認しました。

普段の会話でも間を埋めるために、ついつい本心とは違うことを流れで口走ってしまうことがよくあって。あれが怖いんですよね。無意識に話して偶然いいアイデアが出ることもあるけれど、インタビューでつい思ってもみないことを言っちゃうのはよくないなと思いまして。

——話の流れや空気感に合わせた会話が自分の本心とズレてしまうことって、たしかにありますね。

オモコロのラジオ番組をYouTubeにアップしてるんですが、「今日は話すことないなぁ」ってときに世間で話題になってることをペラペラ話してしまうことがあるんです。自分が詳しくない分野に、おもしろがる気持ちだけで乗り込んじゃってる。そういうときは反省します。時事問題をワイドショー的におもしろがってると、コメント欄で諌められることもあって。人前に出て話すことの難しさを痛感しますね。

——原宿さんのように長年メディア運営をしてきた人でも発信することに不安を抱えてる。決して堂々と発信してるわけじゃなくて、恐る恐る発信されているんですね。

かといって黙っててもしょうがないじゃないですか。少し危なっかしくても、一歩踏み込んだ発言をしなきゃというタイミングもあるので、自分の中で納得するしかない。今回のJINS PARKさんでは……そういう覚悟で話せたらと思います。

——ありがとうございます。今回のテーマが「やさしく疑う」なのですが、オモコロの記事には、日常で当たり前だったことを疑い、実際に検証してみる姿勢を感じます。玉石混交の情報が、すさまじいスピードで流れていくインターネットの世界で長く活動している原宿さんは、どんなふうに情報と向き合っているのか知りたいです。

あんまりみなさんと変わらないと思うんですよね。情報に関しては本当に雑食で。本も乱読しますし、X(Twitter)やYouTubeもずっと見てる感じです。本屋さんは池袋のジュンク堂によく行くんですが、書店員さんが選書している棚を必ず見ます。売れ筋ランキングはみんなが興味あることの後追いなのであんまり興味がなくて。それよりは書店員さんの意志が反映されてる企画の棚とか、選書コーナーみたいなのが好きですね。

——書店もひとつのメディアですもんね。SNSやYouTubeといったWebの情報源とはどう向き合っていますか?

それも別に特別なことはしてなくて、おもしろいと思った人をフォローして、その人のツイートやRTを眺めてる感じです。人の「いいね」が流れてくるのも個人的には嫌いじゃないですね。

YouTubeも満遍なく観てます。左官の方の仕事動画が好きでよく観るんですけど、コンクリートをす〜っとキレイに流し込んでるのを眺めていると、世界に対する感謝の気持ちが湧いてくるんですよ。こんな貴重な仕事風景を、全世界に公開してくれてありがとうございます、と。そういう善良さが古き良きインターネットだと思ってるところはありますね。

でも同時に、不良のケンカ動画みたいなざわざわするものも嫌いじゃないんですよ。世界って美しいものと、そうじゃないものの両方があって、成り立ってると思うので。

つまらないことも大事なんだ!

——いまの話もそうですが、原宿さんって「世界や社会はこうあるべき」みたいな「べき」思考がない印象があります。「世界はこうなんだ」と、ありのままを受け止めるというか。

それはありますね。自分が世界や社会を変えられると思うと傲慢になってしまう気がするので。かといって「世界は変えられない」みたいなニヒリズムも違うと思うんです。「べき」と「である」の間に留まろうとすることが大事なんじゃないでしょうか。

——なるほど。

『オモコロ』を続けてきて思うのが、つまらなさも大事ってことなんですよ。「おもしろい」記事を作りたいんだけど、でも世の中っておもしろくないことで動いてる部分が多いじゃないですか。

たとえば、研究者の方って驚くべき研究成果に至るために、一見つまらない地道なエビデンスを積み重ねていくわけですよね。その蓄積まで「おもしろ」でコーティングしちゃうのは間違いだと思う。かといって、つまらないままだと誰も興味を持てない。だからそのあわいを探ることが大事だと思ってます。

難しいことやつまらないことを、おもしろおかしく単純化して世界を解釈できた気になっちゃうのは楽しいし気持ちいいし、ラクなんですけどね。でもそれじゃ取りこぼしてしまうものがあまりにも多い。それは忘れないようにしてます。

——つまらないことも大事、というのはなかなかすぐには理解してもらえない感覚ですよね。

そうですね。僕も四六時中おもしろいと思われたい欲望があるんですよ。でも、自分が大事にしてることって、他の人からするとつまらないことが多いんです。そこで、おもしろいものを求める人々の需要に100%応えようとしたら、自分の感性を失ってしまう気がする。なので、自分のつまらない部分もちゃんと大事にしたほうがいいと最近は思います。だからこのインタビュー記事がつまらなくても、これも大事なんだ!!と、そういうことですね。

——(笑)記事を作る際も、つまらない部分を大事にするんでしょうか。

そうですね。ライターさんの原稿を見ても思うんですが、その人自身が大事にしてること、こだわってる部分って、他人にはなかなかわからないものなんです。編集者としては、そのわからない部分に対して、「ここもうちょっと詳しく書いてください」とか「ここは削ったほうが読みやすいかも」と言いたくなる。でも、その修正によってその人の良さを殺してしまう可能性もあるんですよね。誰にもわからない部分にこそ、新規性やオリジナリティが潜んでるかもしれないから。

——たしかにそうですね。

伊集院光さんも「優れた文学はその1ページ1ページに、1行1行に、1文字1文字に意味があって、それどころか行間にも意味があるという話に行き着くことが多い」と言っていました。

僕の編集によって、ひとりの天才が生まれる可能性を潰しているんじゃないかっていう不安も常にあります。なので、オモコロは他の媒体ほど編集らしい編集はしてないかもしれない。これは自社で運営してる媒体だからこその自由さでもあるとは思います。

めちゃめちゃ儲かるメディアじゃないのにライターさんたちが書きたいと言ってくれるのは、余計なことを書ける自由が担保されてるからなのかなと。オモコロらしさとは何かと聞かれたら、本当にそこだけかもしれませんね。

無意味なことをやるために、常識を通す

——現在JINS PARKの編集長であるOff Topicの宮武さんは、「(自身のコンテンツでは)ファクトだけじゃなく、ナラティブ(物語)を伝えようとしている」という趣旨の発言をしていました。『オモコロ』の記事にもライターのナラティブを感じるのですが、その点は意識されていますか。

基本的にやらなくてもいいような無意味なことをやるメディアなので、一応コンテンツとしての立て付けはちゃんと作るようにしてます。そうしないと、まったく伝わらないというのはありますね。たとえば記事の冒頭は一般的な話題から入って共感を得ておかないと、そもそも読んでくれないとか。

——漫才の導入に似ていますね。「コンビニの店員やるから、お客さんで来て」と言って、観客の共通認識に訴えかけるような。

たしかに漫才と近いかもしれない。おこがましいですけど。「あるあるネタ」で共感を得たり、「この話題はみなさんにも関係あることですよ」と明示したり。逸脱したことをやるのはその後ですね。

そういう意味では、世の中の常識やトレンドを、ある程度把握することが重要なんですよね。みんなが何に興味を持っているのかはもちろん、どんな言動がアウトなのかとか。常識と言ったら陳腐ですけど、そういう社会通念みたいなものは認識してないと、人に読んでもらえる記事は書けない。常識を捉えたうえで、社会の需要に応えすぎない。そのバランスが大切なんですが……まぁなかなか難しいです(苦笑)。

「僕らの息の根を止めてくれる人」と会いたい

——『オモコロ杯』など、新しいライターの発掘もされていますよね。オモコロの求めるライター像を伺ってもいいですか。

物騒な言い方になりますが、僕らの息の根を止めてくれる人ですかね。「『オモコロ』のフォーマットに合わせて書けます」よりも、「俺のこの記事をオモコロに載せれんのか?」みたいな挑戦的な人のほうがおもしろい。そのためにはオモコロを読みすぎていないことも大事かもしれないですね。「好き」だって言ってくれるのは嬉しいですし、その気持ちは大事ですけど、「オモコロらしさ」に囚われすぎたらいけないなと。

オモコロの記事

——オモコロらしさを追従しても、同じようなコンテンツを再生産することになってしまう。

そうですね、メディア側に自分を盗られてはいけないと思います。Off Topicさんも「僕らのことを信じないでほしい」って言ってましたが、そこはめちゃめちゃ共感しますね。オモコロを信じてはいけない。自前の道具を作り出して、それで記事を作れるような人がいいと思います。

——自前の道具を作り出す、いい表現ですね。

記事のフォーマットってあっという間に陳腐化するんで、常に新しい形を模索しないとすぐに飽きられちゃうんですよ。オモコロでもよく「なんとか選手権」(編注・一つのお題に対して複数名のライターが自分の解を出す大喜利形式の記事)ってやってますけど、一回使えるってわかると、何度も使いたくなる。この道具で穴を掘るとなんかラクだぞ!って気づくと、使い続けたくなる。

でも当然使い続けてたらいつか道具は壊れるわけですよ。だからいまの道具があるうちに、次の発明をしなくちゃいけない。掘り進めてるときはついついそっちが楽しくなっちゃって、新しいフォーマット作りを疎かにしちゃうので、そこは常に意識するしかないですよね。「うまくいってるときほど危ない」ってよく言われますけど、そういうことなのかなと思います。

——オモコロはそのサイクルを回せてるから、目まぐるしく流行が変化するWebメディアのなかでも、常に読まれ続けてるのでしょうね。

そうだといいですね。作り続けるキツさってなかなか人には理解されないものなので、「俺はがんばってるぞ!」って言いたくなるんですけど、そうせずに黙々と新しい道具を生み出し続けている職人みたいな人がいちばんかっこいい。だからこういう話はあんまり言わないほうがいいと思うんですが。

加齢のせいなのか「そういう苦労もわかってくれよ」と言いたい気持ちが強くなってるんですよ。僕の場合、40代になってから「わかってくれ」っていう気持ちがよく漏れ出してて。マジメな社会論を話しちゃったときなんか、「いま、俺すげぇ漏らしてるな」って思うんです。

このインタビューもかなり漏らしてますよね……。だからどんなふうに読まれるんだろうっていま非常に不安ですね(笑)。

* * *

原宿さんといえばメガネ姿の印象があります。しかし、ライターデビュー間もない20代の頃はそうではなかったと言います。

「メガネ歴は長いんですよ。ファミコンとゲームボーイのせいで、小3の頃には近眼になって。20代の頃はコンタクトをつけてましたが、メガネがあったほうが覚えてもらいやすいので、かけるようになりました」

「メガネをかけててよく思うのが、『耳と鼻、軽視されてない?』ってこと。耳がないとメガネはかけられない。鼻がないと支えられない。目はみんなにもり立ててもらって、ようやく見えてるんだから、もうちょっと感謝したほうがいいぞって思うんです」

ちなみに、そんな原宿さんの問いに答えるメガネ、実はJINSにあります……!(JINS SCREEN Nose Padless)鼻パッドをなくし、こめかみとテンプルエンドのシーソーパーツで頭をホールドしてメガネを支えます。スマホやPCのブルーライトから目を守るとき、耳と鼻の気持ちが気になる人も、ぜひチェックしてみてください!

【プロフィール】
原宿
『オモコロ』編集長。1981年、神奈川県生まれ。2008年にオモコロでライターとしてデビューし、2012年より現職となる。